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デイビーボーイ・スミス・ジュニアが新日本プロレスを退団した理由:現在は何してる?

2020年11月29日

デイビーボーイ・スミス・ジュニア 退団理由

『最後の方は、新日本プロレスは1年に4回しかツアーに呼ばなかった。新日本はこれ以上KESの仕事は増やせないと、俺に説明したんだ。』(『http://juuninntoiro.xyz/archives/45533』の和訳を引用)

プロレスについての情報を配信しているYou Tubeチャンネル「THE HANNIBAL TV」にて、デイビーボーイ・スミス・ジュニアは新日本プロレスを退団した理由を、神妙な面持ちで話し始めました。

 

新日本プロレスを退団した理由

スミスが、「THE HANNIBAL TV」に出演したのは、2019年7月。
新日本プロレスへの最後の参戦となった「ニュージャパンカップ2019」から4ヶ月後のことです。

スミスは、新日本プロレスを退団した理由について、「出演機会に恵まれなかった」「小さな問題の蓄積」2つを挙げています。

■出場機会に恵まれなかった
・組まれる試合は、10人・8人・6人タッグマッチばかり
・出場する機会が徐々に減っていき、直近は年間4つのツアーにしか参加出来ないほどに減少した
・新日本プロレスからK.E.S.の仕事はこれ以上増やせないと伝えられた

■小さな問題の蓄積
・新日本プロレスとコミュニケーションが上手く取れないことが何回もあった(【一例】新日本側から「来月来れるか?」と問われ、「OK」と伝えた。しかし、当月近くになったので予定の確認をしたら、出場の予定はないと言われれた。)

・マッチメイカーの外道とコミュニケーションが上手く取れなかった(【一例】ランス・アーチャーと外道はフェイスブックメッセンジャーで連絡を取っていた。しかし、自身が外道にフェイスブックメッセンジャーで連絡をすると返事がなかった)

・新日本プロレスのMSG大会に出場予定があるかどうか確認したが、2週間前になっても回答が得られなかった

・ランス・アーチャーの長期欠場で、自身も出場の機会がなくなったことから、個人の評価がされていないことを実感した

以上の理由から、スミスは「新日本プロレスを離れるべき時が来た」と考え、新日本プロレスを退団したようです。
なお、「THE HANNIBAL TV」出演の際、最後はこう結んでいます。

「俺は輝くチャンスが欲しい。自分自身を証明したいんだ。だが新日本プロレスには感謝したい」

 

スミスの経歴

スミスは、1985年8月生まれの現在35歳。

ブレット・ハートやオーエン・ハートなど、多くのレスラーを排出する有名なレスリング一族「ハートファミニー」の元に生を受けます。

父のデイビーボーイ・スミスが日本遠征の土産に買ってきたオモチャやプロレス雑誌などを見て、幼い頃から日本の文化に触れ、日本にプロレスラーになりたいと思い始めます。

スミスはカナダを拠点にするプロレス団体「スタンピート・プロレスリング」で、従兄弟のマッド・アニスを相手に本名のハリー・スミスとして、わずか8歳でデビューを飾ります。

その後、国際プロレスなどで活躍経験があり、当時、北米地区のブッカーを務めていた大剛鉄之介の元でトレーニングを積みます。

2005年、プロレス団体最大手のWWEからのオファーがありながら、それを断り、大剛のルートから新日本プロレスに「ハーリー”ブルドッグ”スミス」のリングネームで初参戦。
念願の日本プロレスデビューを果たします。
蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパンと共闘を展開し、3度参戦します。

2007年からはWWEに参戦。タッグ王座戦線に絡む活躍をするも、2011年に解雇されました。
同年、アントニオ猪木が主宰するIGFに参戦。

デイビーボーイ・スミス・ジュニア ランス・アーチャー

2012年には、7年ぶりに新日本プロレスにカムバックします。
リングネームをデイビーボーイ・スミス・ジュニアに改名し、鈴木軍の一員として参戦します。
スミスはランス・アーチャーとのタッグチーム「K.E.S.」を結成し、IWGPタッグ王者を奪取し、タッグ戦線を席巻していったのです。

デイビーボーイ・スミス・ジュニア 新日本

勢いをそのままに、シングル戦線にも食い込みます。
2013年のニュージャパンカップでは、中邑真輔を破りベスト4入り。
同年4月、中邑が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦し敗れるも善戦します。

2015年からは、鈴木軍総出でプロレスリング・ノアに参戦。
K.E.S.として、ノアのタッグの至宝・GHCタッグ王座を獲得し、10回の連続防衛記録を築き上げます。

2017年からは、鈴木軍の一員として新日本プロレスに再上陸。
K.E.Sで再びIWGPタッグ戦線をかき乱す活躍を見せるのでした。

順風満帆の活躍を見せるものの、2018年以降は陰りを見せ始めます。
既述の通り、出場機会に恵まれなかったり、小さな問題が蓄積したりなどして、2019年3月開催のニュージャパンカップに参戦以降、新日本プロレスから姿を消したのでした。

 

全日本プロレスに活躍の場所を求めて

現在、スミスはアメリカ・ニューヨークに拠点を持つMLM(メジャー・リーグ・レスリング)を主戦場に移します。

デイビーボーイ・スミス・ジュニア 全日本

そんな折、全日本プロレスの「チャンピオン・カーニバル2020」への出場が発表されました。
2019年4月以降、日本に来日しておらず去就が注目されていた中のサプライズ発表だったのです。
かねてから、日本でまたプロレスがしたいというスミスの願いが全日本プロレスで叶ったのでした。

私的観点で言うと、スミスの全日本プロレスへの参戦には光明が見えます。
というのも、新日本プロレスでの出場機会に恵まれず、全日本プロレスに主戦場を移して、花を咲かせた選手がいるという前例があるからです。
その選手とは、ヨシタツです。

ヨシタツは、元WWE選手として鳴り物入りで新日本プロレスに参戦するも、思うような活躍が出来ず、徐々に出場機会を減らされる、事実上の戦力外通告を受けました。
その後、全日本プロレスに主戦場を移します。
新日本プロレスでの不甲斐ない活躍から一転、全日本プロレスのファンからは受け入れられ、今では、団体に欠かせに存在になっています。

人には適材適所があるように、プロレスラーにも”適材適団体”があるのかもしれません。

スミスは、父を超えるためにいつか総合格闘技で戦いたいという目標があり、日本に来日する度に佐山聡の「スーパータイガージム」や桜庭和志の「Laughter7」などに足繁く通いほどの格闘技マニアです。
196センチ・120キロという大きな身体には似通わない、細かい技術を好む傾向にあります。

しかし、新日本プロレスでは、大きな身体の選手は派手でダイナミックな動きをする方が好まれる傾向にあります。

この違いが、スミスが新日本プロレスでの出場機会を減らせれた一因とも言えるでしょう。
真壁刀義が、ゲスト解説時に言った「あんなに恵まれた体格なのに、細かいことばっかりやってプロレスが小さくまとまっちゃってる」という批判が、それを証明しています。

ただし、それは、あくまでも新日本プロレス内での評価です。

全日本プロレスは、大型選手が他団体より群を抜いて多いです。
スミスの細かいテクニックは、他の大型選手と差別化を図れる大きな武器になるかもしれません。

「細かいテクニックをする大きい選手は意外性があって面白いね」と、全日本プロレスのファンに受け入れられる可能性も考えられます。

スミスは、全日本プロレスへの参戦が発表された時、インタグラムで嬉しそうに以下の文章を綴っています。

『Very excited to announce that I will be participating in the 2020 All Japan Pro-Wrestling Champion Carnival! My father Davey Boy Smith, and also Dynamite Kid and Johnny Smith once competed in the same league. I plan on winning this one! 🏆🥇👍🇯🇵🇨🇦🇬🇧🐶‬(俺はチャンピオン・カーニバル2020に参加出来ることに、とてもワクワクしている!父のデイビーボーイ・スミスやダイナマイト・キッド、ジョニー・スミスもチャンピオン・カーニバルに参加したことがある。俺は、このトーナメントで優勝を目指す!)』(スミスのインスタグラムから引用)

コロナ禍でまだ日本へ来日が叶っていませんが、スミスにとって輝ける場所は全日本プロレスにあるのかもしれません。

 

【次回予告】

次回は、「エルサムライの今」について迫っていきます。

https://kadrhosh.com/el_samurai/

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かめたく

ファッションとプロレスをこよなく愛する元アパレル店員。独自理論に基づいた着こなし術や人気ファッションアイテムの体験記。また、マニアックな視点から捉えたプロレスの魅力をお伝えします。

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