鈴木軍の隠れた実力者「金丸義信」とは一体何者?
2019/07/02

現在、プロレスラーは華やかになっている傾向にあります。
そんな中で、地味だけど実力を発揮し確固たる実力を築いているレスラーがいます。
その男の名は「金丸義信」
鈴木軍の”隠れた実力者”とも呼ばれている、金丸義信とは一体何者なのでしょうか。
目次
レスラー界から高い評価を得ている金丸の実力
金丸はジュニア選手の2人から高い評価を得ています。
「ノブおじさんは、めちゃくちゃプロレスが上手い。」
こう称するのは、現在ジュニアで随一の人気を誇る高橋ヒロム。
もう1人、金丸をリスペクトする気持ちを示唆しているのがジュニアのレジェンド・タイガーマスク。
「アイツは、あんなこと(反則行為)をしなくたって勝てるヤツなんだ。アイツは実力があるんだから」
金丸は、なぜ同業者からも評価されるでしょうか。
その理由は過去の経歴を辿ると、解き明かすことが出来ます。
本記事にて、金丸の過去を見ていきましょう。
①ポテンシャルを買われ全日本プロレス入団
金丸は高校時代は野球部に所属し、1994年春の甲子園では、登板はなかったものの、
控え選手としての出場経験を持っています。
レギュラー陣の実力に埋もれ、野球での限界を感じていましたが、
前年秋の関東大会で防御率1.67の好成績を残した金丸のポテンシャルに注目した
ジャンポ鶴田後援会関係者の口添えで、ジャイアント馬場と面談をする機会を得ました。
そして、高校卒業後の1995年に全日本プロレスに入門を果たします。
②ジャイアント馬場に可能性を見出された異例のデビュー戦
1年半にも及ぶ下積みを耐え、1996年7月にデビュー戦を迎えます。
それは、異例の初陣でした。
当時はまだ昭和プロレスの名残が強く、新人は新人らしく派手な技の使用はご法度とされていました。
そんな時流を逆らうように、金丸はいきなりポスト最上段からムーンサルトプレスをやってのけたのです。
試合後、ジャイアント馬場に取材に行った記者によると
「それくらい出来る子なんだよ、フフッ」
と、ドヤ顔で嬉しそうに答えたとか。
通常であれば新人に使用を許されない技ですが、金丸のズバ抜けた能力を買っていたジャイアント馬場が
空中技を特別に許可していたのでした。
後年、金丸はデビュー戦についてこのように振り返っています。
「馬場さんに『出来ることはやれ』って言われていたから、トップロープを使った。当時、異例だったことは後から聞きました」
身長173センチとプロレスラーとして小柄ですが、
金丸はデビュー時から御大ジャイアント馬場からポテンシャルを買われていたのです。
また、当時行われていた日本武道館大会では選手のサイン入りボール投げのイベントが行われていましたが、
そこでも金丸は野球で鍛えた肩を活かして、ボールを2階席や3階席にまで投げ込むというポテンシャルを見せていました。
③NOAHで成し遂げたタイトルの数々
2000年、全日本プロレスの所属選手が大量離脱したため、
それに追従するかたちで、金丸も三沢光晴が旗揚げしたプロレスリングNOAHに移籍。
皮肉にも、馬場が立ち上げた団体ではない新天地で金丸の実力は開花していくのでした。
2001年にはGHCジュニアヘビー級トーナメントに出場し、見事優勝し初代王座を獲得。
2002年は菊池穀と組み、強豪「獣神サンダー・ライガー&田中稔組」を破り、IWGPジュニアタッグを奪取。
発揮された実力は2006年に、史上初のGHCジュニアヘビー&ジュニアタッグの同時栄冠という結果に結びつきます。
同年、目覚ましい活躍が認められ選手会長に就任。
その後、2冠王者から脱落し、第一線から一時は退くも
肉体改造に成功し、最前線に返り咲きます。
【画像:肉体改造に成功しトレーニング雑誌の表紙に抜擢】
2010年にはGHCジュニアとジュニアタッグ(パートナーは鈴木鼓太郎)をともに6度防衛。
この記録は、当時の最多防衛回数を樹立しています。
類まれなる戦績を残してきた金丸でしたが、2012年に惜しまれながらNOAHを退団します。
④苦渋の全日本プロレス再退団
その後、2013年2月に全日本プロレスに再入団。
古巣に戻っても金丸の勢いは衰えず、
同年、全日のジュニアの至宝・世界ジュニアヘビー級王座に君臨。
翌年、秋山準のパートナーとして、アジアタッグ王者の鈴木鼓太郎&青木篤志組を破り、ベルトを奪取。
しかし、再入団してわずか3年にも満たない2015年12月、全日本プロレスを再退団します。
退団理由からは金丸の苦悩が感じられます。
「今回退団することを決めるに辺り、色々と考えました。これからの残りのレスラー生活、そして家族のことを考えた時に、今の自分の状況を考えてこのままでよいのかと思い決断致しました。」
当時の全日本プロレスは集客も苦労し、経営も行き詰まっていたのはファンに目から見ても明らかでした。
きっと金丸の実力に見合わない契約金を提示されていたのは想像に難くありません。
一回目の退団は大量離脱により、自身の将来を考えての退団でしたが、
今回は、家族を養う家族の大黒柱としての苦渋の決断であったことが察するに余りあります。
この苦悩からは、プロ野球への道を諦めた自分を助けてくれた、
ジャイアント馬場への恩を仇で返しているのではないか、という最悪感が金丸の脳裏に去来しているように見えるのです。
⑤まさかの鈴木軍加入
今後の動向が注目される金丸は、
2016年1月からは同時期に全日本プロレスを退団した潮崎豪と、次の新天地にNOAHを選択します。
だが、NOAHを退団した過去がある両者は”出戻りの裏切り者”扱いを受け、
ファンから大きなブーイングを受け辛酸をなめます。
名誉挽回に努めていた最中に組まれた
スペシャルシングルマッチ「鈴木みのる VS 潮崎豪」
サポートすべくセコンドについた金丸は試合終盤、
なんと潮崎を裏切りまさかの鈴木軍加入を果たします。
【動画:「鈴木みのる VS 潮崎豪」24:27から金丸の裏切り行為が見れます】
そして、鈴木軍加入後もGHCジュニアヘビー級王座を奪取、
新日本プロレスに主戦場を移してもIWGPジュニアタッグ王座に2度君臨するなど
ヒール転向後も変わらぬ活躍を見せて今に至るのです。
レスラー業以外の顔
さて、複数の団体を渡り歩いてきた金丸ですが、レスラー業の傍ら、
実はジムのインストラクターとしての顔も持っています。
ジムのインストラクター
持久力とパワーの両方を同時に発揮できるカラダつくりを活かし、2011年よりパーソナルトレーナーとして活動をスタートします。
ミッドブレス初台店のホームページでは、パーソナルトレーナーとして紹介されていますが、
肉体改造に成功した過去を活かしたトレーニング&ダイエットセミナーなどを行っています。
現在は更新されていませんが、パーソナルトレーナーとしてのブログもやっていました。
ちなみに、部分痩せや有酸素運動をするベストタイミング等が載せられており勉強になりますよ。
パーソナルトレーナーとしての活動を経て、
2016年からは、三軒茶屋に構える完全個室プライベートジム「BODY RIGHT STUDIO」の代表兼インストラクターとして活躍しています。
・体重を落としたい
・見た目を細くしたい
・筋肉をつけて体を大きくしたい
・スポーツのパフォーマンスアップ
これらの幅広い要望に応えた、肉体改造トレーニングを受けることが可能のようです。
プライペート
また、プライベートでは2007年に結婚をしています。
ですので、子供もいるかもしれませんね。
そして現在はヒールなので反則行為など、悪の限りを尽くしていますが
Twitter上からはいい人そうな人柄を垣間見ることが出来ます。
タイチのTwitterでは、頻繁にお酒で潰れているリング上とは違う一面も見れて面白いです。
→金丸のTwitterはこちらから
→タイチのTwitterはこちらから
終わりに
以上の通り、金丸義信は色々な顔を持っています。
棚橋弘至からも「大きな怪我もなくいつもコンディションがよい」と一目を置かれていますが
金丸の口癖を引用させてもらうと「ココ(頭)とココ(腕)がココ(格)違うから当たり前」なのかもしれません。
実力があるのに、勝つためなら金的攻撃やウイスキー噴射などの反則行為もする。
生き抜くためだったら再退団もいとわない。
リング外ではプライベートジムも経営している。
現在41歳、己の身一つで生きてきた自信からこそ、
金丸は「ココ(頭)とココ(腕)がココ(格)違う」と言えたり
とりわけアピールしなくても、”隠れた実力者”と言われるのかもしれません。
なにかその背景には、ジャイアント馬場が見えてくる気がしてなりません。
そう、金丸義信とは「出来ることはやれ」という馬場の教えを地で行く男、と言えるのではないでしょう。
そんな金丸が今後、どんな”出来ることをやる”のか刮目していきたいと思います。
これにて、金丸義信についての記事を終わりにしますが、
最後に個人的な要望があります。
ぜひとも、入場曲を変えてほしいのです。
タイチがゲスト解説の際にも言っていましたが、入場曲がとても地味です。
「やれることはやる」男なら、もう少し派手な曲にして欲しいですね。
【次回予告】
次回はタイチのプロレス人生に迫っていきます。