八木哲大に北村克哉と、昨今ヤングライオンの退団が続いています。
怪我でやむなく退団をしたり新たな道に進むために退団したりなど、事情は様々です。
ただ過去には、行方をくらませ生存が未確認とされているヤングラインがいることをご存知でしょうか?
2009年に入団を果たし、
2013年、海外遠征先のメキシコで消息を経った男、三上恭佑。
ここでは、三上恭佑の生い立ちと新日本プロレスでの活躍、そして現在について話していきたいと思います。
三上恭佑の生い立ち
三上恭佑とプロレスの出会いは幼少期からでした。
寿司屋を営むプロレス好きの父親に全日本プロレスに連れていってもらった際、
スタン・ハンセンにプルロープで殴られたのをきっかけに、
プロレスラーになることを決心。
以降、柔道・レスリングに打ち込みます。
新潟県立巻農業高校に進学後はレスリングで国体に出場。
2000年、富山国体フリースタイル97kg級でベスト4の成績を残します。
高校卒業後は、スポーツ推薦で専修大学に進学。
当時、監督に馳浩、コーチに中西学が在籍していたレスリング部に入部します。
2年先輩には平澤光秀がいました。
2003年、JOC杯ジュニアオリンピック・フリースタイル96kg級でベスト4。
2004年には全日本学生レスリング選手権・フリースタイル84kg級でベスト8。
同大会、グレコローマン84kg級でベスト8入りを果たします。
好成績を残すものの出勤日数等の問題で、2005年頃に大学を中退。
その後、プロレスラーになるために新日本プロレスへの入門を目指します。
しかし、177cmの三上は「180cm以上」という条件が設けられた新日本プロレスへの入門が許されませんでした。
大学在籍中に借りていた奨学金の返済のために、
建設現場等の肉体労働からイタリア料理店の勤務まで職場を転々としながら
4年間のフリーター生活を余儀なくされます。
新日本プロレス入門へ
2008年、時を同じくして新日本プロレスでは入門した練習生が多数夜逃げをする事件が起こりました。
それを受け、
翌2009年5月の入門テストは「春の特別編」と題して
身長・体重・スポーツ歴は一切不問と間口を広げた入門テストが実施されます。
当然、身長制限で苦汁をなめていた三上もこの入門テストを受けます。
そこで数少ないチャンスをモノにし、見事合格。
紆余曲折して、三上は晴れて新日本プロレスの一員になったのです。
同テストで同じく入門した高橋広夢(現・高橋ヒロム)、
同時期にニュージーランドから来たファレ・シミタイトコ(現バッドラック・ファレ)と共に、
練習生期間を過ごします。
翌2010年3月、26歳という遅咲きではあるが田口隆佑を相手にデビューを飾ります。
その後は、前座戦線で高橋、キング・ファレ(現バッドラック・ファレ)と凌ぎを削る戦いをします。
【動画:キング・ファレ VS 三上恭佑】
【動画:高橋広夢デビュー戦 三上恭佑 VS 高橋広夢】
メキシコ遠征でナマハゲに転身
ヤングライオン生活を経たのち、
2012年2月からはメキシコ遠征でCMLLに参戦。
アレナ・コリセオ大会にて、全身タイツを着用した覆面レスラー「ナマハゲ(Namajague)」としてデビューを果たしました。
https://www.youtube.com/watch?v=Zls5f7NNGaI
現地で活躍する日本人ルードのOKUMURAとタッグチーム「ラ・フィエブレ・アマリージャ」を結成。
翌2013年3月、同タッグでストゥーカ・ジュニア & フエゴを破りアレナコリセオタッグ王座を奪取。
同月、同タッグはストゥーカ & レイ・コメタとマスカラ・コントラ・カベジェラで対戦。
あえなく敗戦を喫しOKUMURAは丸坊主、ナマハゲはマスクを脱いで素顔を明かしました。
【画像:丸坊主にされているOKUMURA(左)と素顔を明かしたナマハゲ】
以降、ナマハゲは右半分にメイクを施したペイントレスラーとして活動をします。
【画像:ハーフペイントバージョンのナマハゲ(左)】
同年、9月にはCMLL80周年記念アニベルサリオ大会でOKUMURA&石井智宏とのトリオで出場。
同年11月アレナ・コリセオ大会で、アレナコリセオタッグ王座の2度目の防衛戦に挑むが、
ゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタ組に敗れ王座を明け渡しました。
以後、ナマハゲは突然姿を消したのです。
三上とナマハゲとエル・デスペラード
同じ頃、新日本プロレス公式サイトで新たな覆面レスラー、エル・デスペラードのデビュー戦が近日行われることが発表されました。
2014年1月5日、獣神サンダー・ライガーと組み、飯伏幸太・BUSHI組を相手にデビュー。
BUSHIをギターラ・デ・アンヘルで極め鮮烈な初戦を飾りました。
当時、デスペラードは全くの正体不明でしたが、
対戦を重ねるごとに、闘い方がナマハゲに似ていることから、
「デスペラードの正体は三上なのではないか」という噂が上がっていました。
その噂が確信に変わったのが、
デスペラードと高橋ヒロムとのやり取りでした。
2018年、両者はお互いに特別な想いを寄せていることを明言したのです。
同年6月大阪城ホール大会でウィル・オスプレイや破りIWGPジュニアのベルトを奪取したヒロムが、
バックステージでコメントしている際、
デスペラードが現れこのようにコメントを残しました。
「俺がきっちり(IWGPジュニアタッグの)タイトルを守って、お前がシングルを獲って、理想的だ。俺の理想の形になってくれた。素晴らしい。ありがとう。愛してるぜ。」
それに対し、ヒロムはこう切り返します。
「お前の心は、イヤになるほど、嫌いになるほどわかってるよ。俺のこと、愛してくれてありがとう。お前のこの中身が大嫌いだから、愛せない。でも俺のことをたくさん愛してくれるんだったら、いい試合ができそうだ。」
このやりとりから想像するに、
ヤングライオン時代に三上が広夢に対し、
「将来は俺たち二人でジュニアを盛り上げていこうぜ!」
とプロレスに対する熱い想いを一方的に語っていたのでしょう。
以前、棚橋弘至はデスペラードのことを
「もし僕が知っている”アイツ”ならプロレスに対して情熱がありますよ。」
と明かしています。
棚橋の話と照らし合わせてみても、
「エル・デスペラード=三上恭佑」は決定的なのです。
かつて、三上はインタビューで
「ライバルをあげるとすると?」
という問いに対して
「同期は完全にライバルですね。」
と応えています。
ともなれば今後、
デスペラードとヒロムの戦いはジュニアが誇る黄金カードになるのは間違いないと言えるでしょう。
「プロレスへの情熱」を燃やし続ける三上恭佑
ナマハゲが姿を消して約4年の月日が流れた2019年1月、
ファンタスティカマニアにてナマハゲが久しぶりの登場を果たしました。
反則を繰り返すデスペラード時の”アイツ”とは一転して、
ナマハゲ時はプロレスを出来る喜びを爆発させる”アイツ”だったのです。
その様変わりようはファンの話題をかっさらいました。
ヤングライオンの三上恭佑、
鈴木軍の一因としてヒール道を貫くエルデスペラード、
プロレスを心から楽しむ陽気なナマハゲ。
三者は全くの別人という設定だが、
注視すると”アイツ”の顔を覗かせているのです。
そう、”アイツ”が持っている「プロレスに対しての情熱」。
姿は変わっても、
三上恭介の心には今もなお変わることのない「プロレスに対しての情熱」が燃えたぎり続けているでしょう。