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ロスインゴの新たなパレハ「鷹木信悟」ってどんなレスラー?

   

鷹木信悟

「新パレハは誰なのか?」で持ち切りになった「10.8両国」。
大方の予想通り、その正体は10月7日付で退団をしたドラゴンゲートの鷹木信悟でした。

Xの正体が分かった瞬間、割れんばかりの歓声が起きたものの、
閉鎖的に活動しているドラゴンゲートにいた鷹木が、どのようなレスラーなのか知らない方は
多いかもしれません。

そこで、本記事では鷹木信悟というプロレスラーに迫っていきたいと思います。

 

ドラゴンゲート入門前

鷹木がプロレスにのめり込むきっかけとなったのは、
中学1年生の時にレンタルビデオ店で借りたFMWの「正邪決戦・大仁田厚 VS 天龍源一郎〜ノーロップ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」です。

大仁田の熱血ぶりと、天龍のただならぬオーラに魅了された鷹木は
「男の目指す最終地点はココだ」と気づき、
進路希望アンケートでは「全日本プロレス・新日本プロレス、FMW」
と記入するほどプロレスに思いを馳せるようになりました。

プロレスラーになるべく、
中学時代は野球部に所属する傍ら週に2回柔道の道場に通い、
高校では柔道部に所属し受け身や絞め技の技術を学びます。

高校卒業後はトレーナー専門学校に進学し肉体作りをするためのトレーニング理論を勉強しながら、
アニマル浜口ジムでレスリングに励みます。

そこで出会ったのが、内藤哲也とBUSHIでした。
ロスインゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーとの出会いは実に15年以上前からだったのです。

同時期にレスリングマットでレスリングをやった3人はその後、
ドラゴンゲート、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体に袂を分かっていくのでした。

【画像:20歳の頃の鷹木】

鷹木信悟 昔

 

異例のデビュー

鷹木信悟 デビュー

鷹木はアニマル浜口ジムに3年間通ったのち、2004年5月21歳で闘龍門(現ドラゴンゲート)に入門。

同期にはB×Bハルクや、現在WWEで活躍をしている戸澤陽などがいます。

すでに身体が出来上がっており、新人らしくない新人の鷹木は
入門わずか5か月後の同年10月にデビュー。
トップ選手であるCIMAとTARUのパートナーに携え異例の初陣を飾りました。

そのゴールデンルーキーぶりは予想に違うことなく、
デビュー1年後の2005年には、
望月成晃が持つドラゴンゲートで最も権威のあるオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦をしたり
同年12月に行われたトーナメント「KING OF GATE」ではベスト4まで勝ち残ったりなど、
早くもトップレスラーの仲間入りを果たしていくのでした。

 

「新時代の扉を開く鷹木」と「辛酸を舐めるB×Bハルク」

翌2006年5月からは約1年間の海外武者修行を経て2007年4月に日本マットに復帰。

そこからB×Bハルク、サイバーコング、YAMATOでユニット「NEW HAZARD」を結成し
オープン・ザ・トライアングルゲートを奪取。

翌2008年1月には土井成樹と吉野正人が持つGHCジュニアタッグに鷹木とハルクで挑戦。
見事奪取を果たします。

【動画:土井&吉野 VS 鷹木&ハルク】

ところが同年5月、鷹木はタッグパートナーのハルクを裏切り、ヒールユニット「REAL HAZARD」を結成します。

ここから鷹木とハルクのライバルストーリーが始まります。

完全決裂した2人は、翌6月、CIMAが保持していたオープン・ザ・ドリームゲート王座への次期挑戦権をかけて対決。
大激戦のシングルマッチは60分時間切れの未決着になってしまいました。

だが、直後にCIMAが王座返上を表明したことにより、
翌7月に神戸ワールド記念ホールで鷹木とハルクによるドリームゲート新王者決定戦を行うことになりました。

お互い感情ムキ出しになったこの戦いで、
ついに鷹木がオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪還。

比較されることが多かった両者ですが、鷹木が先にドラコンゲートの頂を戴冠するのでした。

試合後も鷹木とハルクはリング上で舌戦を展開。

鷹木が
「お前のことが憎くて憎くて仕方ない。お前を叩き潰してドラゴンゲートの天下はオレが取る」
とジェラシーをぶつければ、

ハルクも
「お前には、お前だけに負けたくない。お前なんかにベルトを巻かれたんじゃドラゴンゲートの未来はない」
と噛み付き、燃え盛るライバル心をムキ出しにしました。

苦言を呈すハルクをよそに、
鷹木はドラゴンゲートの未来を開いていきます。

2013年7月には、オープン・ザ・ドリームゲートのベルトを15回連続防衛中で長期政権を築いていた絶対王者CIMAに挑み、見事勝利。

この試合は、プロレス紙で「新時代の扉を開いた」と評されるほどでした。

鷹木は名実ともにドラゴンゲートのトップに躍り出ます。

 

他団体での活躍

その後、2016年末頃に新たな局面を迎えます。
ドラゴンゲート内で戦い続けた鷹木にある気持ちが芽生えます。

「ドラゴンゲートの外に出て強いヤツと戦いたい」

無理もありません。
下記のように、鷹木はドラゴンゲートのタイトルを欲しいままにしていたからです。

■オープン・ザ・ドリームゲート王座 戴冠回数4回(最多タイ)
■オープン・ザ・ツインゲート位統一タッグ王座 戴冠回数5回(パートナーはそれぞれYAMATO→サイバー・コング→YAMATO→YAMATO→戸澤陽)
■オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座 戴冠回数6回(パートナーはそれぞれB×Bハルク&サイバー・コング → B×Bハルク&サイバー・コング → Ganma&YAMATO → ドラゴン・キッド&岩佐拓 → T-Hawk&サイバー・コング → 吉田隆司&エル・リンダマン)

鷹木はドラゴンゲートの社長の承諾をもらい、他団体に”強いヤツ”を求めていきます。

2017 年9月からは大日本プロレスの最狭タッグリーグに岡林裕二と出場。

また、プロレスラーになるきっかけとなった大仁田厚が主催する巡業に参戦を果たしていきます。
そこで、鷹木は大仁田が得意とする電流爆破デスマッチにも挑戦をしていきます。

【動画:地元の山梨で「大仁田と電流爆破デスマッチをする」という夢を叶えた鷹木】

翌2018年4月には全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに出場。

火野裕二や石川修司などスーパーヘビー級に引けをとらないパワーで
三冠ヘビー級王者の宮原健斗から凱歌を揚げ準決勝まで進出するなど、
”強いヤツ”を次々となぎ倒していくのでした。

石川修司には、
「『鷹木信悟は所詮ジュニア』って発言したけど、もうそんなの関係ないくらいいい選手だと再認識しました。」
称されるほどの活躍をするのでした。

 

新体制を迎えるドラゴンゲート

鷹木が他団体で活躍する一方で、ドラゴンゴートは長年社長業を務めていた岡村が退き新体制を迎えます。

後任の木戸社長が言った
「いずれ代表権は選手に譲る」
に対して、鷹木は噛みつきます。

「その言葉が嘘でないなら、1番実力と実績があるレスラーに譲って当然だろ?」

他団体での活躍を成し遂げ自信を身に着けた鷹木は、
現状のドラゴンゲートに対して以下のように不満をぶちまけます。

新社長待望論も聞こえる中で、
このようなマニュフェストを掲げていきます。

 

一歩踏み出す勇気を持ってドラゴンゲート退団

息を巻く鷹木ですが、
代表権を得るために吉田正人が持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑むも敗戦。

ドラゲーに14年いる鷹木だけに
「これまでは来る新社長に向けての支度期間、これからは俺がドラゲーを改革してやる」
と気負い立っていたのかもしれません。

意気込みとは裏腹に結果がついていかない鷹木の脳裏に、”あの言葉”が思い出されます。

「一歩踏み出す勇気」

2018年4月に内藤が言った言葉。

そして同年9月、ついに14年間所属したドラゲーを退団する決意をします。

団体を通じて長文のコメントを以下のように残しています。

以前より、ドラゴンゲートという枠に捉われず、プロレスラーとして国内はもとより世界中のレスラーたちと自由に闘っていける環境に憧れを抱いており、数年前よりこの夢の実現のため会社とも相談を重ねてきましたが、今年4月までの旧体制のドラゴンゲートではどうしてもこの夢が叶うことはありませんでした。しかしながら、この度の新体制となったことにより、7月の神戸ワールド記念ホール大会の後に改めて申し入れた結果、私の意思を尊重していただき、団体との契約が満了となる10月7日を持ってフリーとさせていただくこととなりました。木戸社長を始め、自身の我儘を受け入れてくれたドラゴンゲートの仲間たちに心から感謝しています。

(中略)

 もちろんフリーである以上、ドラゴンゲートと決別するわけではなく、機会があればいつでもこのリングに戻って来たいと思っています。成長著しい今の若い選手たちが更に成長を遂げた時に迎え撃つのは私自身の楽しみでもあります。

引用元:http://spora.jp/dragongate/archives/date/2018/9/7

団体への不満や改革したいという気持ちは「一歩踏み出す勇気」へ変わっていったのです。

退団日の10月7日の試合後に、
「ここで生まれて育った龍の魂は、これからずっと背負っていこうと思ってる。退団しても何も変わらない。これからも我が道をまい進するのみだ。14年間、本当に本当にありがとう!」
とドラゲーに別れを告げるのでした。

 

新たなパレハ・鷹木信悟

鷹木のドラゴンゲート退団翌日、
新日本プロレスでは 両国国技館でビッグマッチが行われていました。

内藤哲也が一歩踏み出すために加入させた新たなパレハ”X”を披露する日。

鷹木の退団翌日だけに、多くのファンの間では「”X”は鷹木ではないか」と予想されていました。

そして現れたのは、やはり鷹木信悟でした。

【動画:新たなパレハ・鷹木信悟登場シーン】

試合後のコメントでこのように残しています。

「俺はこれからも必ず、わが道を突き進むだけだから。」

何かこの言葉の裏に、プロレスラーを目指すきっかけをくれた大仁田厚が見えるのです。

大仁田といえば、
周りにどんな反対をされても自分が信じた信念を曲げない男。
その姿勢から”邪道”という代名詞さえつくようになりました。

そんな大仁田の姿勢に鷹木が重ねて見えたのです。

「スーパージュニアタッグリーグ」でどこまで自身の価値を知らしめることが出来るかが問われていまずが、
そんな鷹木なら旋風を巻き起こしてくれるのではないかと期待出来るのではないでしょうか。

 

新日本プロレス所属選手との関係

さて、鷹木は以前から新日本プロレスの選手と関わりがあります。

 

57年会

団体の隔たりを超えて同級生が集う「57年会」には
内藤哲也や飯伏幸太、石森太二がいます。

【画像:昭和57年の集合写真】

鷹木信悟 内藤哲也 飯伏幸太 石森幸太

 

引用元:https://ameblo.jp/naito-tetsuya/entry-11818518736.html

この写真が取られた2014年当時は

鷹木…ドラゴンゲート
内藤…新日本プロレス
飯伏…DDT
石森…プロレスリングNOAH

で、それぞれトップで戦っていました。

実に興味深いのは、わずか4年後の2018年
全員が新日本プロレスに集結したということです。

鷹木は公式スマホサイトのインタビューでも「同級対決は特別燃えてくる」と言っているので
この57年会対決の実現は楽しみの一つではないでしょうか。

ちなみに、僕的の言うと57年会内での実力は下記の式で表せると思います。

石森 < 鷹木 < 飯伏幸太 = 内藤

 

小島聡

また、小島聡とは通っている共通のジムの忘年会と知り合ったことがきっかけで
交流をしています。

その忘年会で、鷹木からの「試合したいです!」というラブコールに応え、
2015年には、鷹木が地元山梨で主催した自主興行で小島とタッグマッチで肌で合わせています。

パワーファイター同士の鷹木と小島の対決も一種楽しみです。

 

今後、鷹木はどの程度活躍しそうか?

では「鷹木は今後どの程度活躍するのか?」というのが多くのファンの注目ポイントではないでしょうか。

「またジュニアを踏み台にするのか」
ファンの中にはそう思う向きもあるかもしれませんが、
当の本人はスマホインタビューで、階級のしがらみにはとらわれない姿勢で行くことを明言しています。 

全身で仕掛ける技パンピングボンバーで全日本の大物外国人をなぎ倒すほどの体力すら持っているため、
いずれヘビーも視野に入れているでしょう。

ただ、今は高橋ヒロムがいなくBUSHIのパートナーがいないというタイミングだから
ジュニアで参戦という判断なのではないでしょうか。

私的観点で言えば
スーパージュニアタッグリーグでのめざましい活躍をしているので、
IWGPJrヘビーの奪回なら十分考えられるでしょう。

一方ヘビー級の方は、IWGPヘビーを狙えるまでの選手ではないでしょうが
NEVER戦線は狙えるのではないでしょうか。

 

終わりに

鷹木のことを理解していただけたでしょうか。

ドラゴンゲートで強さを欲しいままにしてきた鷹木は、
世界最高峰の新日本プロレスで
”THE DRAGON”の名に恥じぬ”昇り龍”になれるのでしょうか。

それは今後の鷹木にかかっています。

ただ、すでに送られている熱い声援は鷹木への期待を代弁しているように思います。

かくいう僕も、そんな鷹木に期待を寄せる1人です。

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