「NEW JAPAN CUP 2017」を優勝し13年ぶりのIWGPヘビー級挑戦権を手に入れた柴田勝頼。
優勝後のマイクで「リング上で約束したヤツがいるんだよ!」と言った。
それはオカダ・カズチカのことだった。
屈辱を胸に
時は遡って、2014年の2月11日大阪府立体育会館のこと、その日は柴田にとって同級生でもあり盟友である後藤洋央紀が当時IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカに挑戦して敗戦した日だった。
後藤のセコンドに付いていた柴田がオカダの前に立ち、一気に対戦の可能性が高まった。
しかしそんな柴田にオカダはこう言い放ったのである。
「このベルトに挑戦したいんだったらな、『NEW JAPAN CUP』に優勝してから来い」
「俺と向き合えば挑戦できる? そんな甘くねぇんだバカヤロー」
この屈辱を胸に3年の時をかけリベンジの舞台に立つこととなった。
「ザ・レスラー」と言われる由縁
柴田は98年に新日本プロレス入団、99年10月デビュー。
2004年以降は会社の意向で
柴田・中邑・棚橋と共に
「新・闘魂三銃士」
と呼ばれるようになるが、
柴田は「俺を三銃士で括るな」と頑なに拒絶していた。
2005年、自分のプロレスを求めて新日本プロレスを退団しビッグマウスに移籍、
後のインタビューで柴田は
「やめるのも自分のプロレスのひとつ、一部であったと思います。
それがなかったら自分じゃなかっただろうし。やめることが新日本だった」
と語っている。
その後、ビッグマウス・ラウド、フリーを経て
2007年に格闘技に世界に行ったのである。
時は経ち、
2012年新日本プロレスに「ケンカを売りにきた」のである。
それからの柴田は、
戦い方がプロレスと言うより格闘技だったのである。
自分のプロレスを求めて新日本も退団したし、
格闘技の世界にも行ったし、
それなのにファンからの支持は得られなかった。
まさにゼロからのスタートだった。
しかし何も無い所からファンの支持を獲得していき、
いつしか絶大な支持を得て今の地位を築いてきた。
まさに自分のプロレスを求めた紆余曲折の人生だったのである。
戦い方がプロレスかどうかが問題では無いということを柴田は教えてくれた。
自分のプロレスを求めて生きていくその生き様全てがプロレスであることを。
涙も汗も痛みも喜びも約束も全てがプロレスなのである。
人生をかけてプロレスを体現する男、
それが柴田勝頼という男であり、
「ザ・レスラー」と言われる由縁なのである。
約束と言うプロレスを果たした柴田にはぜひベルトを巻いて、
新しい新日本プロレスの風景を見せて欲しい!