幾度となくベルトに挑戦するもなかなか勝利に繋がらず、
苦労人のイメージが強いYOSHI-HASHI。
彼は苦労人のままレスラー人生を終えてしまうのではないか、
そんな心配をする方もいるでしょう。
しかし、そう考えるのはまだ早いかもしれません。
というのも、YOSHI-HASHIが歩んできたのは茨の道であり、
そこから学んだ【諦めないことの大切さ】を今でも忘れていないからです。
新日本プロレスに入団するまでの苦労
2018年3月、YOSHI-HASHIはSANADA戦後にこのようなコメントを残しています。
「SANADA、お前、俺と2005年、同じこの後楽園ホールで一緒の入門テスト受けたよな? 俺は新日本に入るのに3年かかった。お前はそのあと諦めて違う団体を受けたよな? そして、今中邑さんとか外出てって、空き家にうまいこと入り込もうとしてるだろ? 俺は、それは納得いかねぇんだよ。いいか、SANADA、俺は今日負けたかもしれないけど、 俺はこの新日本に3回も受けてきた。俺は、ここに来てから、何一つ折れたことない。 」
そう、YOSHI-HASHIは新日本プロレスに入団する以前から茨の道を歩んでいたのです。
学生時代から地元名古屋の闘魂ショップに併設された闘魂ジムに入門したYOSHI-HASHIはレスリングに励んでいました。
2005年には、プロレスラーになることを夢に上京し、アニマル浜口ジムにてレスリングの基本練習に明け暮れます。
同年11月、後楽園ホールで行われた新日本プロレス入門テストを万全の状態で挑みました。
そこには、内藤哲也と真田聖也(SANADA)もいたのです。
【動画:2006年度公開入門テスト(ゼッケン1番が内藤哲也、4番がYOSHI-HASHI)】
奇しくも、この入門テストで合格したのは内藤のみでした。
真田はその後、全日本プロレスに合格し、それぞれの道を歩んでいきます。
しかし、YOSHI-HASHIは、その後も諦めることなく入門テストを受け続け、2年後の2007年、3回目の受験にしてようやく合格を果たします。
2人に遅れるかたちでプロレスラーとしての道をようやくスタートさせたYOSHIHASHIにとって、SANADAは強い嫉妬心を抱く対象になったのでしょう。
「若手時代」~「海外遠征時代」
約1年半の練習期間を経て2008年7月、26歳にしてようやくデビューを果たします。
最初の相手は、同じ入門テストを受け先にプロレスデビューを果たしていた内藤でした。
2010年にはヤングライオンでありながらベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場。
戦績は1勝6敗ではあるものの、ベテランのAKIRAに勝利し将来が期待される存在になりました。
同年6月、メキシコ遠征に旅立ちます。
【画像:メキシコ時代のYOSHI-HASHI】
約1年6ヶ月に及ぶメキシコ修行を経て、2011年12月に帰国。
階級をジュニアヘビーからヘビーに転向することを宣言し、当時、ヒール色の強かったCHAOSの一員として活動を開始します。
凱旋帰国試合から不遇な時代に突入
翌2012年1月4日、リングネームを本名の吉橋伸雄からYOSHI-HASHIに改名し、
コスチュームも赤いロングタイツに如意棒という孫悟空を彷彿とさせる格好に改め、凱旋帰国試合を行います。
相手は同じく海外遠征から帰国したオカダ・カズチカ。
海外遠征の結果を見せようと意気込んでいたが、たった4分で必殺のレインメーカーで沈みます。
帰国後のインタビューで「俺をメキシコに追いやって、見捨てた会社を見返してやる!」と息を巻いていたにも関わらず、
その後YOSHI-HAHIは約4年間も低迷し、ジョバー(負け役)としての時期を過ごします。
その間、同じ入門テストをうけた内藤はG1 CLIMAXで優勝を果たし、
同期入門のオカダはIWGPヘビー戦線で活躍するなど、
大きく遅れをとっていきます。
中邑真輔に目をかけてもらえる
そんな状況を打破してくれるきっかけを作ってくれたのは現在WWEで活躍する中邑真輔でした。
当時、CHAOSの中心人物だった中邑はYOSHI-HASHIを
よく飲みに連れていくなど、可愛がっている様子がツイッターで度々アップされていました。
いつしかYOSHI-HASHIは中邑の弟分のような存在になっていったのです。
それを象徴したのが、2014年に高橋裕二郎が持つNEVER無差別級王座に挑んだシーン。
滅多にセコンドに就かない中邑がなんとYOSHI-HASHIのセコンドに就いたのです。
この場面からは、いかに中邑がYOSHI-HASHIの目をかけているかが分かる一場面でありました。
当時の中邑と言えば、不動のIWGPインターコンチネンタル王者。
絶対的王者の中邑が目をかけているなら、
弱いけどひたきに頑張るYOSHI-HASHIを応援しようという機運が高まりファンの間では人気は上がっていきました。
その思いが高じてかデビュー9年目の2016年、
かねてからの目標であったG1 CLIMAX初出場を果たします。
ケニー・オメガから大金星
その初陣のケニー・オメガ戦で、新技カルマでなんとピンホール勝ちを収める大金星をあげたのです。
誰もがケニーの勝利を予想している中の勝利に、後楽園ホールは大爆発。
長い間、日の目を見なかったYOSHI-HASHIへの見方が、一瞬にして変わった瞬間だったのです。
G1初出場というと1、2勝あげればいいものの、3勝6敗という初出場にしてはまずまずの成績を残しました。
YOSHI-HASHIの変化を目の当たりにし、
いよいよベルト戦線に食い込む時が来た、と誰もが思った時期でした。
しかし、YOSHI-HASHIの前には再び大きな壁が立ちはだかるのでした。
チャンスを逃し続けても”ハートが砕けない”
G1で勝利したことをうけてケニー・オメガが持つIWGPヘビー級王座挑戦権利証に挑戦するチャンスを得て、
同年9月に挑戦するも負けを喫してしまいます。
続いて翌10月にはオカダ・カズチカとプロレスリングNOAHに乗り込み、
丸藤正道と矢野通が持つGHCタッグベルトに挑むも奪取失敗。
翌2017年は、2月にROH世界王座アダム・コールに大善戦するもあと一歩及ばず。
同年6月はNEVER無差別級王者の鈴木みのるに実力の差を見せつけられ黒星。
数々のチャンスを得るも結果が出すことが出来ませんでした。
そして、同年のG1では前年を下回る2勝7敗の苦戦を強いられます。
ところが、辛酸をなめるような状況下においてYOSHI-HASHIは少しも諦めていませんでした。
「G1終わったけどけど、またシリーズ始まるから、ベルトに近づいて、ベルトを必ず獲る。とりあえず今日一区切りつけるけど、またすぐ狙いにいくから。」
G1最終戦でこう語るYOSHI-HASHIには一点の曇りも感じませんでした。
それもそのはず、YOSHI-HASHIという男にとってはこの程度は「諦める」に値しない壁だったからです。
「YOSHI-HASHIはコレと決めたことへの執念は人一倍強いとは思いますよ。メキシコで一緒だったときも『戻ったら、絶対ヘビーでやっていく』と語っていたし。ひとつ目標を立てると自分を曲げない、よくも悪くも頑固なヤツですよね。」
こうコメントを残しているのは内藤哲也。
まさにこのコメントを地で行くように、再び苦境の道を突き進みます。
同年10月には、ケニー・オメガへのリベンジを誓ったIWGP USヘビー級王座戦に挑むも惨敗。
2018年には2月に内藤哲也とのシングルマッチに挑むが完敗。実力の差は歴然でした。
翌3月のSANADA戦でも大敗を喫します。
ことごとくチャンスをものに出来ず負け続けているのに、相も変わらずSANADA戦後にこのようにコメントを残しています。
「SANADAにしろ、内藤にしろ、アイツらにやられるのが一番ムカつくから。必ず巻き返す。まだ、俺はまったく自分自身に見切りをつけてないから。それまではまだ終わらない。また行くよ、何回でも行って必ずアイツらをブチのめしてやる。」
どんなに苦境に立たれようと折れないのがYOSHI-HASHI。
まさに、”ハートが砕けない男”と言えるでしょう。
YOSHI-HASHIの人柄
ここまで負け続けたら、並大抵の人間であれば第一線から淘汰されてしまいます。
しかし、なぜYOSHI-HASHIはチャンスを掴み続けることが出来るのでしょうか。
それは棚橋が残したコメントに隠されています。
「YOSHI-HASHIはね。ファイトスタイルやコメントに、本人の人柄が出ちゃってますよね。だから、ファンの人は応援しやすいと思います。」
チャンスを得続けられる秘訣は、YOSHI-HASHIの人柄が関係しているのかもしれません。
ここからはYOSHI-HASHIの人柄を「天然」「名言」「私生活」に分けてお伝えしたいと思います。
天然
以前「新日本プロレスワールド」で流れていた「ヨシハシカメラ」で外道や後藤洋央紀との会話を見ると分かりますが、
YOSHI-HASHIは相当な天然キャラです。
以前、中邑真輔がプロデュースしたイベントではYOSHI-HASHIへ一問一答をするコーナーがありました。
そこで、嫌いな女性のタイプを「汚い人」、
今後やってみたいことを「交番で働くこと」など、
謎の答えを平然と連発する天然ぶりを発揮していました。
そんなYOSHI-HASHIの親しみやすさはファンが応援したくなる要素になっているのでしょう。
名言
また天然でありながらも、言葉のセンスが卓越しています。
ケニー・オメガに勝った後に言い放った「物事が変わるのは一瞬」は名言になり、
コメント力に定評がある棚橋からも「あれは名言だ!」と言わしめるほどでした。
言葉のセンスは喋りにも生かされており、
ゲスト解説に入った際の分かりやすい丁寧な説明はファンから多くの支持を得ています。
私生活
そして、私生活では元アイドルレスラーの栗原あゆみと2014年に結婚をしています。
可愛いと評判だった栗原を射止められたのは、YOSHI-HASHIの人柄を持ってしてのものなのかもしれません。
天然だけど言葉のセンスもあり、私生活では美人レスラーを射止める。
そんな人物像が魅力となってYOSHI-HASHIというレスラー像を築き上げているのかもしれません。
人柄とプロレスは別の話
しかしながら、人柄が結果に結びつくかどうかは別の話。
同期入門のオカダには周回遅れを許し、同い年の内藤からは次のような辛辣な言葉を浴びせられています。
「ただただ、CHAOSのなかでみんなとなかよくプロレスができればいいと思ってるだけなんじゃないですか?ちょっと、彼には今後プロレスを続けるかどうかも含めて、考え直す必要があると思いますよ。」
この言葉に疑う余地はありません。
なぜならば、そろそろ結果を出さなければ、YOSHI-HSHIは新日本プロレスから淘汰されてしまうことが容易に想像出来るからです。
近い将来、G1出場も危ぶまれるでしょう。
しかし、当の本人は新日本プロレススマホサイトのインタビューでこのように語っています。
「『もういいや』って思ったら、そこで全てが終わっちゃいますけど、『またやってやろう!』『次につなげてやろう!』って思い続けることで、なんらかの可能性というか、変化する種になるわけですよ。そこで『もういいや』って諦めたら終わっちゃいますけど、『もう1回いくぞ!』って決めたら、なんらかの変化は絶対に生まれてくるので、そういう部分ではすぐに諦めないことですね。よくも悪くも、やれば必ず結果っていうのはついてきますし、やらないで終わっちゃうと何も生まれないですから。」
YOSHI-HASHIは決して【諦めないことの大切さ】を忘れていません。
それならば、言葉だけでなく結果をもってその大切さを満天下に知らしめて欲しいです。
このまま苦労人としてレスラー人生を終えてしまうのかどうか。
今こそ、YOSHI-HASHIの真価が問われているのかもしれません。
【次回予告】
次回はSANADAの「過去・現在」について語っていきます。
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