みなさんは北村克哉というヤングライオンらしくないヤングライオンがいる事を忘れてはいないでしょうか。
北村は2018年3月、試合で脳震盪(のうしんとう)を起こして以降、欠場を続けています。
脳震盪の場合、すぐ復帰出来るケースがある一方で、
他の病気を引き起こす可能性が懸念され、ドクターからOKが出ず
選手生命が絶たれるケースも珍しくありません。
欠場してから現在までの10ヶ月の間、
北村には「退団」「引退」「復帰」といった様々な噂が交錯しています。
果たして、どれが真実なのか。
本記事では北村の現在に迫っていきたいと思います。
北村引退説
北村の引退噂が囁かれ始めたのは、欠場からわずか1か月後のことでした。
2018年4月14日、下記の情報が舞い込まれました。
レスリングオブザーバー4月16日号が、新日本プロレスの北村克哉が新日本を離脱したか、引退した可能性があると報じている。北村は3月4日大会で脳しんとうを起こして以来、5週間欠場を続けている。
— OmasukiFight (@omasukifight) April 13, 2018
この情報のみなら鵜呑みにしませんでしたが、
同日に新日本プロレス道場の寮長である小林邦昭のツイートにより、
退団・引退が一気に真実味を帯びることになりました。
そのツイートは、現在は削除済みで見ることが出来ませんが、次のような内容でした。
毎日 励ましてあげたのに何故 夢に向かって走らないのかね。意気地が無さすぎる。
このツイートが北村を指しているのではないか、という憶測を呼び”北村引退説”は輪をかけて真実味を帯びてきました。
確かに無理もありません。
現在の新日本プロレスは「リング上のレベルは世界NO.1」との呼び声が高いだけに、
存在をアピール出来ない選手、実力が伴わない選手は容赦なく振り落とされます。
たとえ1ヶ月という短い欠場でさえ、大きな遅れは避けられないのです。
経歴の短いヤングライオンなら、なおさら「ついていけないかもしれない」と不安になり、
引退の文字が頭を駆け巡るでしょう。
よって、北村の引退は想像に難くなかったのです。
しかし同月24日、
北村のツイートにより、噂がミスリードであったことが発覚しました。
復帰を待っていてください!進化してまたカムバックします!
— 北村克哉 (@KitamuraKatsuya) April 24, 2018
このツイートで多くのファンは安堵したのです。
北村ボディビルダー転向説
ところが、ファンの安心をよそに
北村はツイッターやインスタグラムで筋トレについての投稿をするばかりでした。
本人としては、
「プロレスの練習は出来なくても、今できるトレーニングは一生懸命やっています!」
とアピールしたかったのでしょう。
しかし、それが誤解を招き新たな噂が浮上してしまいます。
それが「ボディビルダーへの転向」です。
拍車をかけたのが、
7月のセントラル・ジャパンボディビルディングフェデレーションというボディビル大会への出場でした。
下記URL内にある画像を、8回右へクリック(スマホはスライド)すると、北村が写っている画像が見られます。
スクーター事故説
”ボディビルダー転向説”が世間で囁かれる最中、9月にまた新たな情報が舞い込みます。
レスリング・オブザーバーによると、スクーターによる事故により足を負傷してしまったので復帰できない状態なのだそうです。いつ事故を起こしたのかは不明です。怪我の状態は思わしくないようで、復帰の目途は未だにたっていないとのこと、
引用元:http://aozora-band.com/wpwn/archives/33324
ボディビルダーの次は、スクーター事故による足のケガ。。。
ここまでくると、何が本当の情報なのか疑わしくなってきました。
ただ、それとなく分かってきたのは新日本プロレスの復帰はしばらく無理ということでした。
復帰に向けて頑張っている
”スクーター事故説”もあり、またも”引退説”が一人歩きする中、再び嬉しい情報が舞い込みます。
2018年11月、北村本人が、新日本プロレス道場でトレーニングしている様子を投稿したのです。
https://www.instagram.com/p/BquU0rlhNHs/?utm_source=ig_embed
退団した選手が、新日本プロレスの道場でトレーニングをすることはありません。
つまり、今もなお北村が新日本プロレス所属であることを、この投稿は指し示しているのです。
嬉しい情報は畳みかけられ、翌12月には、
北村本人のinstagramで下記の本文を交えた動画が投稿されました。
病院で怪我の箇所の定期検診を受けた
治りは思ったより良くない。。。
でも、今やれる事をやるだけだ
1日でも早くリングに復帰する為にひたすら毎日トレーニングは欠かさない。
引用元:https://www.instagram.com/p/BrM-5g0BPrh/?utm_source=ig_embed
注目すべきは、
「1日でも早くリングに復帰する為に」
の部分です。
これは、新日本プロレスへの復帰を示唆していると言っていいでしょう。
トレーニング、大量の食事、睡眠
毎日の全てをプロレスの為に。。。
より強くなる為に捧げてきた
もしも、プロレスの神様がいるなら答えを聞きたい#北村克哉 #katsuyakitamura#北村系女子 #北村系男子#北村の成長を見守る会 https://t.co/giFWQjAhXW— 北村克哉 (@KitamuraKatsuya) December 25, 2018
上記のクリスマスにツイートされた内容を見てみても、
欠場している現在も、プロレスへの熱い思いが消えていないことが伝わってきます。
”新BONE SOLDIER説”と”ロスインゴ・新パレハ説”
以上の他のも、様々な噂がありました。
2018年4月に話題になった「新BONE SOLDIERは誰か」では北村ではないかという説が飛び交いました。
また、同年9月に内藤が誘ったロスインゴの新パレハに北村説が浮上していました。
このように、事あるごとに北村の名前は出されています。
それは、裏を返せばファンの期待値の大きさを物語っているとも言えるでしょう。
それも当然、北村には輝かしい経歴があるからです。
北村の経歴
ここで北村の華々しい経歴を辿っていきましょう。
北村は1985年生まれの現在32歳。
高校は東京工業高等学校、大学はレスリングの名門・専修大学の出身です。
高校時代には、2003年国体レスリング少年の部フリースタイル97kg級で準優勝。
大学時代には、2005年全日本学生選手権フリースタイル120kg級優勝、
2006年全日本選抜レスリングフリースタイル120kg級を制しています。
また、2006年のレスリング世界選手権に日本代表としての出場を果たしています。
大学卒業後は、サラリーマンをしながらアマチュアレスリング(グレコローマンスタイル)に打ち込み、
そこでも数々の成績を総ナメにします。
2008年全日本レスリング選手権グレコローマン96kg級を制したのを皮切りに、
2009年には同階級のレスリングアジア選手権・世界選手権の日本代表として出場、全日本レスリング選手権を2連覇します。
2010年にも同階級の全日本選抜レスリング選手権制覇。そして、2年連続で世界選手権の日本代表に選ばれます。
さらには、全日本レスリング選手権を3連覇するのです。
順調そのものだった北村のアマレス人生でしたが、2011年に一変する出来事が起こります。
同年、全日本選抜レスリング選手権で優勝するも、試合直後の行われたドーピング検査で
筋肉増強剤のドロスタノロン(禁止薬物)に陽性反応が示され、
全日本選抜の成績の剥奪と2年間の出場停止の厳しい処分を下されました。
この件に関して、北村は意図的に禁止薬物に手を出した覚えはなく、
海外から取り寄せて飲んでいたサプリメントが原因なのではないかという見解を語っています。
余談ですが、この過去があることから、北村にはステロイド使用の噂が常につきまとっています。
しかし、北村克哉自身は筋肉つくりのトレーニングに関して「人の10倍トレーニングして、人の10倍食事した」と語っている通り、
相当な時間をトレーニングに費やすことで驚異の肉体美を作り上げているようなので、心配無用でしょう。
アマレスの大会への出場が制限された北村は、ジムのインストラクターに転身します。
そんな折、専修大学出身の先輩である馳浩に誘われ、2015年7月に格闘技イベント「巌流島」に出場。
ボロドバートル・オンダラルを下し、格闘家としてのデビューも飾りました。
翌2016年1月3日、北村は同じくアマレスエリートの岡倫之とともに新日本プロレスに入団をします。
翌2017年3月、約1年の練習期間を経て同期の岡をタッグパートナーに、
IWGPヘビータッグ戦線でトップを張っていたタマ・トンガ&タンガロア組を相手に破格のプロレスデビューを果たします。
同年11月には、ヤングライオンでありながらワールドタッグリーグに初出場。
同年10〜12月に開催されたヤングライオン杯では、必殺技のジャックハマーを引っ提げて全勝優勝。
翌2008年1月からは「北村克哉・7番勝負」と題された、永田裕志や天山広吉、中西学などの先輩選手とのシングルマッチが定期的に行われました。
同年3月、ヤングライオンとして目覚ましい活躍をしている中、脳震盪を起こし欠場を余儀なくされました。
復帰後の北村に期待
【画像:ビル・ゴールドバーグ】
北村は”和製ビル・ゴールドバーグになることを公言しています。
筋肉隆々の肉体に牙が描かれたマウスピールの着用、
黒く焼かれた肌に塗られたオイルで煌々と光を放ったボディ。
外見そのものは、まさに”マッスルモンスター”です。
北村はヤングライオン杯優勝した際、このようなコメントを残しています。
「ヤングライオン杯を優勝したからには、海外遠征に行って、もっともっと進化して、もっともっと”improve(改善)”して、また新日本プロレスのリングに戻ってきます!」
あれから1年、海外遠征はしていないものの、欠場で人知れず辛い経験をしてきたことでしょう。
それを経たことによって、内面もインプルーブされた”マッスルモンスター”北村克哉を僕は期待しています。
【次回予告】
次回は、北村克也の新日本プロレスを退団した本当の理由について触れていきます。