名勝負を連発し、とうとうG1初出場へのキップを手にしたタイチ。
ディーヴァのあべみほと入場したり、反則を繰り返したりなどで、
何かと色メガネで見られることが多かったタイチは、
なぜ、ここにきて好勝負を展開しファンの心を掴むようになったのでしょうか。
その背景には、「紆余曲折したプロレス人生」があったのです。
そこで、タイチのこれまでの人生を11つに分けて触れていきたいと思います。
①退学もした学生時代
タイチは1980年生まれの現在39歳。
出身は北海道石狩市、本名は「牧太一郎」です。
中学の頃からプロレスファンであった牧は、中学3年時の札幌で開催されたパンクラスの入門テストを受け見事合格。
何を隠そう、このパンクラスの創設者は鈴木みのる。
牧と鈴木は既にこの頃から接点があったのです。
しかし、牧は両親の反対に遭い残念ながらパンクラスへの道を断念。
道内屈指のレスリング名門校、石見沢農業高校に進学を決めます。
プロレスファンの牧は、当然レスリング部に所属。
1997年の国体北海道予選では二位の成績を残し、インターハイへの出場も果たしています。
高校卒業後は、大学に進学するもパチンコ屋通いに明け暮れるグレた生活を送り、そのままアルバイト定員となり退学。
しばしの間、フリーター生活を送ります。
②王道プロレスを学んだ全日本プロレス時代
そんな折、全日本プロレスが2001年夏にBATTキャンプの開催を発表します。
プロレスラーへの道を諦めていない牧は、同キャンプへ参加します。
牧はキャンプの際、コーチの馳浩に全日本プロレス入門を猛アピール。
その思いが通じ、同年9月に練習生見習いとして全日本プロレスの門を潜ります。
翌2002年12月、牧は「石狩太一」というリングネームで土方隆司を相手にデビュー。
プロレスラーとしての初陣は22歳と遅咲きではないものの、デビューするまでにも紆余曲折したのでした。
デビュー後は川田利明の付き人を務め、全日本プロレスの代名詞である”王道プロレス”について学びます。
2005年2月、師匠の川田利明の全日本プロレス退団に伴い、石狩も追随します。
のちに、川田と同時に退団した理由を「自分は川田さんの付き人だったため」と明かしています。
③コミカルな言動を身につけたフリーランス時代
石狩は川田と共に、格闘技色の強いU-STYLE Axisや、ルチャスタイルのdragondoor、全日本プロレスから派生したプロレスリングNOAHなど、多種多様のプロレス団体を股に掛けていきます。
中でも、石狩が脚光を浴びたのはエンターテイメントに特化したプロレス団体「ハッスル」でした。
非常識な言動を繰り返して控え室で先輩から怒られまくるキャラを演じ、「控え室のスーパースター」として注目されます。
また、女子レスラー風の衣装と化粧を施した「石狩太子(たいこ)」としても活躍します。
【画像:石狩太子】
石狩はコミカルな言動で、人から注目を集める自己表現力を身につけるものの、本来やりたいのは純粋なプロレス。
バラエティ路線に拍車がかかるハッスルのついていけなくなり、自ら契約を打ち切り離脱します。
全日本プロレス時代か続いた師匠の川田との関係もここで断絶します。
そんな石狩は、当時まだまだ名が売れていませんでした。
川田なしの石狩にオファーするプロレス団体はいなかったようです。
そこで旧友の宮本和志の伝を借り、キングスロードやZERO-ONE MAXを転戦して食い扶持をつないでいきます。
④ミラノにプロデュースされた新日本プロレスフリー時代
2006年6月、時を同じくして集客に苦しんでいた新日本プロレスがエンターテイメント色を全面に押し出した興行「WRESTLE LAND」の開催をスタートさせました。
同興行で、ハッスルでの活躍を買われた石狩が抜擢されます。
邪道・外道とトリオを組み「北海道」というリングネームで出場します。
これが、タイチの新日本プロレスの初登場です。
【画像:左から外道、邪道、北海道】
同興行への参戦を機に、石狩は新日本プロレスの通常興行にも継続参戦するようになります。
約2年間はヤングライオンのように、前座で凌ぎを削ります。
⑤存在感を発揮出来ないユニオーネ時代
翌2009年1月、長く続けてきたフリーランス生活に終止符を打ち、いよいよ新日本プロレスの所属選手になります。
それに伴い、リングネームも「石狩太一」から「タイチ」に変更。
同年6月、IWGPジュニアタック王座の挑戦権をかけてApollo55(田口隆佑&プリンス・デヴィッド組)にユニオーネとして対決するも敗戦。
翌7月、ジュニアタック王座に就いたApollo55と再び対決するも奪取ならず。
その後、ミラノの長期欠場に伴いユニオーネは解散。
その後は、ジュニアの雄、金本浩二とタッグを組むようになります。
タイチはこの時期、タッグ戦線で活躍はするもののタッグパートナーのミラノや金本のような存在感は発揮出来ず、苦慮感が否めませんでした。
⑥実力を開花させたメキシコ遠征時代
そんなタイチに大きな転機が訪れたのは、2010年2月からのCMLLメキシコ遠征でした。
同年5月、OKUMURA、棚橋弘至と組みCMLL世界トリオ王座に栄冠。
キャリア初のベルトを手にします。
【画像:CMLL世界トリオ王座を奪取したOKUMURA、棚橋、タイチ】
翌6月には、因縁が勃発したマキシモとメインイベントでカジュベラ・コントラ・カジュベラマッチ(髪切りマッチ)を行い敗戦。
自慢の長髪を刈られ丸坊主にさせられる屈辱を味わいます。
しかし、タイチはCMLLに参戦してたった4ヶ月でメインイベントを勤め上げるという異例の大出世を成し遂げ、メキシコで一躍時の人となりました。
⑦立ち位置を確立させた小島軍(仮)時代
メキシコで名を上げたタイチは同年12月に日本へ帰国。
フリーで新日本プロレスに参戦中の小島聡とTAKAみちのく、NOSAWA論外の4人で「小島軍(仮)」を結成します。
小島軍(仮)で、タイチはいよいよ存在感を発揮します。
小島のセコンドとして毎試合介入するヒールキャラや、インタビューで小島を絶賛する太鼓持ちキャラ等を演じ、よくも悪くも自分の立ち位置を確立させファンからの注目度を上げていきました。
ちなみに、今でも続く”タイチは帰れ”コールは、このしつこいセコンド介入がきっかけで始まっています。
【動画:小島聡&タイチ&NOSAWA論外 VS プリンス・デヴィッド&田口隆祐&真壁刀義】
小島軍(仮)が結成して3ヶ月後、早くもユニット内には暗雲が立ち込めます。
2011年3月に開催された「NEW JAPAN CUP」で、真っ向勝負をしたい小島と、セコンド介入を繰り返すタイチの間に軋轢が生じます。
小島は、試合前にタイチをセコンドから排除する動きを見せるようになるのでした。
セコンド介入という自身の見せ場を失われ、面白く思わないタイチは小島に不信感を抱くようになります。
⑧ライガーとの因縁を作り上げた鈴木軍初期時代
同年5月、「真壁刀義対小島聡」の際に、タイチはTAKAとともに小島を襲撃、そして突如登場した鈴木みのると共闘宣言。
暗躍していた鈴木、タイチ、TAKAの3人で「鈴木軍」を結成します。
その後は獣神サンダー・ライガーのマスクを剥ぐ行為を執拗に繰り返し、因縁に発展します。
その因縁が爆発したのは翌2012年6月のこと。
タイチはTAKAをタッグパートナーに、空位になったIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。
対戦相手はジュニアに重鎮タッグ、獣神サンダー・ライガー&タイガーマスク。
タイチは、この日もライガーのマスクを剥ぎにいきます。
そして、顔が露になったライガーを見ると、そこには鬼神ライガーが。
五寸釘攻撃や毒霧の噴射等、無法殺法を繰り出す鬼神ライガーにタイチ&TAKA組は劣勢になり、最後はTAKAがタイガーからピンポール負けを喫します。
【動画:タイチ&TAKAみちのく VS 獣神サンダー・ライガー & タイガーマスク】
https://www.youtube.com/watch?v=TzcbkYRZVhg
鬼神ライガーが降臨したのは実の10年ぶり。
そんな鬼神を蘇らせるほど、この頃のタイチには因縁を作り上げるインサイドワークを身につけていたのです。
翌2013年、TAKAとのタッグでIWGPタッグ王者のフォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ組)を撃破し、タッグ王者に就きます。
これがタイチのキャリア初のタッグベルトになりました。
⑨ジュニア戦線を引っ張ったNOAH時代
翌2015年1月から、鈴木軍はプロレスリングNOAHに主戦場を移します。
同年3月、タイチはNOAHジュニアの至宝GHCジュニアヘビー級王座に挑戦。チャンピオン小峠篤司を破り、キャリア初となるシングルベルトの栄冠を手中に収めます。
その後4回の連続を重ね、退団者が相次ぎ下火になっていたNOAHのジュニア戦線を引っ張っていく活躍を見せます。
同年12月には、ディーヴァのあべみほが初登場。
きっかけはタイチがあべみほが出演しているテレビ番組を見た際に、自分と同郷であったことから「何か一緒にやらないか」とSNSのDMで誘ったことから始まりました。
【デーヴァとして初登場したあべみほ】
⑩実力が認められ始めた近年
NOAHのベルトを総取りするなどして、着実に実力が上がった鈴木軍は2017年1月から、
再び新日本プロレスに主戦場を移します。
同年3月、タイチは金丸義信と組みロッポンギ・ヴァイス(ロッキー・ロメロ&バレッタ)が持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し勝利。
2度目の栄冠に就きます。
翌2018年1月、タカタイチマニアにて「タイチデビュー15年記念試合」を開催。
対戦相手は内藤哲也。
敗れたものの、試合内容で高く評価されたタイチの株は急上昇しました。
この試合で、いかにタイチが実力のある選手であるかが示される形になりました。
バックステージで、内藤はタイチをこのように絶賛しヘビー級転向を勧めました。
「2010年!タイチがメキシコでのしあがっていく様を俺は間近で観てたからね?何年も連続で『SUPER Jr.』の優勝予想をタイチにしてたのもべつに遊びじゃないよ?彼がのしあがっていく様を観てたから。彼が力を持っている選手だってことを俺は知っているから。まあ、前も言ったようにリスクを恐れずに前へ出ることが彼も大事なんじゃないの?このままノホホンとやっているだけでいいなら、それでいいよ。でも何かを変えたいなら、やはり行動に出るべきじゃないの?身体も大きいことだしね。なんなら、階級を変えるのも一つアリじゃない?まあ、彼がどうするかは知らないけどさあ!俺からのアドバイスだよ。一歩、歩き出す勇気が必要なんじゃないの?」
このコメントにより、タイチのヘビー級転向への機運が高まっていきます。
⑪ヘビー級時代
そして同年3月に開催された「NEW JAPAN CUP」にタイチは初出場。
これによりタイチがヘビー級に転向することが明らかになりました。
1回戦で棚橋に負けるも、試合内容で周囲を強く納得させる闘いをし、またも高評価を得ます。
同年9月、後藤洋央紀が持つNEVER無差別級ベルトに挑戦。見事勝利し新日本プロレスのシングルベルトに初栄冠。
早速、ヘビー級でも通用する実力があることを証明してのけたのです。
その後、初防衛に失敗するものの、勢いをそのままに2019年1月に内藤が持つIWGPインターコンチネンタルベルトに挑戦。
敗戦するものの相変わらず戦いに関しては高評価を得ます。
同年3月のNEW JAPAN CUPの石井智弘戦ではベストバウト級の戦いを見せます。
同年5月、ジェフコブが持つNEVER無差別級ベルトに挑戦。勝利し再栄冠を果たします。
しかし、翌6月に石井智宏に敗れベルトを明け渡しています。
そして、同年7月、タイチは念願のG1クラマックス初出場を果たします。
タイチの人間力
こうしてタイチのプロレス人生を振り返ってみると実に様々な経験をしていることが分かります。
全日本プロレスで王道のプロレスを学んだと思えば、ハッスルでコミカルな面を見せる。
その後、新日本プロレスで下積みを経験し、メキシコでようやく開花。
そして今では鈴木軍を引っ張るまでの存在になっています。
これまでの幅広い経験が今のタイチを作り上げていることが分かります。
また、それらの経験は次のように人間力を身につける糧にもなっているように思えます。
優しさと思いやり
タイチは、2019年2月に開催された「ジャイアント馬場没後20年興行」の際にこのようなコメントを残しています。
「なんなんだよ、この興行はよ。本当に今日出ているメンバー、ジャイアント馬場の名のもとに集まったメンバーなのか? 本当にそうなのか? みんなが納得したメンバーが揃ってんのか?ふざけやがって。こんな奴らの中に入れられて。ジャイアント馬場興行のメイン?馬場に関係ねえメンバーでメインやって、それで果たして喜ぶかね?俺には声が聞こえるよ。『こんなんじゃダメだ』って。まあ会ったことないんだけどね。会ったことないんだけどそう言ってるよ。俺はよ、今日こんなクソ大会でも出てやったのはよ、俺が入ったのは馬場元子の時の全日本だよ。馬場元子全日本だよ。馬場元子にはまあ可愛がってもらったよ。たくさんのパワハラを受けて、可愛がってもらいましたよ。さんざん邪険に扱われて。あの悔しい思いがあったから、ここに今俺がいるんだよ。馬場元子に感謝してるから。今日はそのお礼のつもりだよ。もうこれで俺も関わることはないんじゃない?こんな興行お前らでやってろ。じゃあな」
タイチがプロレスへの道を開かせてくれたのは他でもない全日本プロレス。
全日本プロレスへのタイチなりの感謝の言葉を、飴と鞭を使い分けながら述べています。
普段は蛮行だが、このコメントからは恩を忘れないタイチの優しさと思いやりを感じますね。
長けた発信力
タイチはバックステージでの言動やSNSで長けた発信力を発揮しています。
例えば、スーパージュニアの公式戦「タイチ VS 高橋ヒロム」が行われる数日前、
バックステージでタイチはヒロムを精神的に揺さぶっていく行動を見せます。
「明日は黒のショートタイツでオレの前に立て。漢字の高橋広夢に戻って…」
ヒロム@TIMEBOMB1105 のコメント中にタイチ@taichi0319 が乱入!#njbosj 見逃し視聴は #njpwworld で!▷https://t.co/EwLpTHt5Fd#njpw pic.twitter.com/mut5Z4lGQu— njpwworld (@njpwworld) May 23, 2017
ヒロムは黒いショートパンツを履いていた時代、
前座でタイチとシングルマッチを組まれることが多く、
毎試合敗戦を喫していた過去があります。
それを知らないファンにも分かるように、タイチはこのような行動に出て
「若手時代同様、ヒロムはまた負けてしまうのか?」「ヒロム負けないで!」といったように
「タイチ VS 高橋ヒロム」に対する注目を高めています。
この発信力は、ハッスルなどで身につけた注目を集める自己表現力が為せる業といえるのではないでしょうか。
楽しませる力
タイチはファンを楽しませる力にも長けています。
例えば、キャッチフレーズや技名は「北斗の拳」から引用してファンを楽しませています。
キャッチフレーズの「愛を捨てた聖帝」は、
愛する師・オウガイを自らの手で葬り、愛することの無常を知った幼き日の聖帝サウザーの心情を現した「愛深きゆえに愛を捨てた」という言葉に由来しています。
また、タイチの技「天翔十字鳳」はサウザーが使っている技から、
「聖帝十字陵」は「北斗の拳」に登場する建造物から採ったものです。
様々な経験をしているから、きっと何をすればファンが喜ぶのか分かるのでしょう。
ファンを楽しませる一つになることを分かっているから、「北斗の拳」に由来するものを技名などにしているのではないでしょうか。
一見、軽薄に見えるタイチですが、上記のような人間力が思慮深さを醸し出して、タイチの魅力になっているように思います。
最後に
タイチはベルトに恵まれない期間が多く苦労が耐えなかったでしょう。
しかし、確かな実力があることを最近の戦いで証明してみせました。
35〜40歳がピークと言われているプロレス業界において、タイチは今年で40歳。
ただ、40代で驚異的な強さを見せた天龍源一郎や武藤敬司の例から見て、
大きな怪我をしていないタイチなら今後、全盛期を迎える可能性が十分にあり得ます。
初出場のG1でどれほどの爪痕を残すことが出来るのか。
今こそ、タイチに要注目していきたいと思います。
【次回予告】
次回は飯塚高史の正体を暴いていきます。
https://kadrhosh.com/iizuka_takashi/