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周りの目が怖くて息苦しかった僕が、「これが俺だ」と思える服に出会うまで

2025年5月23日

自分らしい服 選び方

「この服、好きだけど……自分に似合うのかな?」

僕が“自分らしい服”というものを意識し始めたのは、中学2年生の頃です。周りの友達がみんな似たような服を着ている中で、僕はなんとなく息苦しさのようなものを感じていました。「みんなと同じじゃないと浮いてしまう」という暗黙の空気の中、自分だけがどこか取り残されているような感覚があったのです。

そんなある日、 街の服屋さんで目に留まったジャケットがありました。でも、遠くから何度も見つめるだけで、手に取ることすらできませんでした。そのジャケットの前に立つことさえ、当時の僕には少し勇気がいることだったんです。

「このジャケットに興味を持つ自分は、それに相応しい存在でなければならない。」

心のどこかで、そんなふうに思い込んでいました。周りから「あんなやつがこのジャケットに興味を持ってるなんて、ダサい」と思われるのが、ただただ怖かったのです。結局、横目で見ながら通り過ぎることしかできませんでした。

それが具体的に何なのか、当時は言葉にすることも、誰かに話すこともできませんでした。ただ、心のどこかで常に拭えない違和感がありました。そして、自分の意思とは関係なく周りの期待に合わせてしまうような、コントロールを失うことへの不安。それが、服を選ぶ際の迷いや躊躇として現れ始めていたのかもしれません。

 

“選ぶこと”への不安や迷い

「好きな服を着ればいい」とはよく言われますが、実際に“自分で選ぶ”というのは、思っていた以上に難しいことでした。

特に学生時代の僕は、まわりからどう見られるかばかりが気になっていました。「変に思われたらどうしよう」「目立ちすぎたら嫌だな」という不安に加えて、「周りと違うからダサいと思われたらどうしよう」とも感じていたのです。

本当は着てみたい服があっても、『こんな自分には似合わないし、そもそも手が届かない世界の服だ』と、無意識に線を引いて諦めていました。 “似合う”という感覚すら持てなかったのです。

当時はまだSNSもなく、情報源といえばファッション雑誌が中心でした。しかし、その雑誌で紹介されている服やスタイルも、僕にとってはあまりに遠い存在で、真似をすることすらためらっていました。「こういう人たちは、もともとセンスがある特別な人たちなんだ」と、どこかで自分とは別の世界の話として見ていたのかもしれません。

服を選ぶことは、“自分を表現すること”とも言えます。しかし当時の僕にとっては、「選ぶ」=「リスクを取る」ことのように感じていたのだと思います。

そんな中で、少しずつ気持ちがほどけていったのは、古着と出会ってからです。

新品の服が持つような「正しさ」や「今っぽさ」をまとっていないその服たちは、どこか余白があって、自由でした。誰かの時間を経て、自分のもとにたどり着いたその一着には、偶然を超えた“運命”のようなものを感じました。

決まりきったルールではなく、自分だけの世界を描けるような自由さが、そこにはありました。

それを手に取ったとき、「こういうのもありなんだ」って、ふっと気持ちが軽くなったんです。

 

自分のスタイルが見えた瞬間

高校3年生の頃、大学説明会でバスに乗ったときのことです。近くの席に座っていた人のファッションが、驚くほどおしゃれで、明らかに周りとは違う独特のオーラをまとっていました。 周りから浮いているのに、不思議と目を惹きつける存在感。 着ている服は、自分では思いつかないような組み合わせや色使いなのに不思議と調和がとれていて、そこにはルールに縛られない自由な空気が満ちていました。

それはまさに、その人だけの確かな異彩と呼べるもので、僕の心を強く揺さぶったんです。

『あ、この人のファッション、好き。着たい』

そう直感的に思いました。

それまでも古着を買ってはいたものの、どこか“無難”な選び方をしていて、本当に着たい服を選べていなかったように思います。

でもその日、僕の中で何かがはっきりと変わったのを感じました。いつものお店ではもう物足りない。そう強く思い、地元の栃木県内の外れから、わざわざ県庁所在地の宇都宮へと足を伸ばしたのです。

「どこかに、あの人みたいな服、売ってないかな?」
そう思いながら街を歩き回っていると、不思議と、ちゃんと出会えたんです。

店内で、自分なりにコーディネートを組んで、試着してみました。
着た瞬間に、窮屈だった何かが解き放たれるような、これが僕が探し求めていたものなのかもしれないと思えるほど、すとんと何かが落ちるような感覚がありました。それは、雑誌の『正解』とは違う自分だけの組み合わせや、あのバスで見た人のような自由な空気感を、初めて自分自身で表現できたからかもしれません。

その感覚が、今の自分のスタイルの原点になっています。

 

“着せられる”から“着たい”へ変わった瞬間

自分の感性を信じて選んだ服を初めて着たとき、何かが変わりました。「着せられている」感覚から、「着たいから着ている」感覚へ。その小さな一歩が、僕の“自分らしさ”の始まりだったのかもしれません。

しっくりくる服を着るようになってから、不思議と内面にも変化がありました。どこか気持ちが落ち着き、外に出るときも「自分で選んだ服を着ている」という確かな感覚が芽生え始めたのです。

それまでは、「これを着たら変に思われないかな」「浮いてないかな」と、人の目を気にしてばかりでした。正直、自分の意思というより、周りの「正解」に合わせて“着せられていた”感覚だったと思います。そんな状態だと、誰かに何か言われたとき、自分の中に判断基準がないため、すぐに心が揺れてしまいます。気づけば、どんどん自分らしさから離れていくような感覚がありました。

しかし、自分で「これが着たい」と思って選んだ服には、不思議と責任が持てるんです。たとえ「ダサい」と言われても、少しは気になりますが、「じゃあ次はこうしてみよう」と、自分の意思で考え、行動を変えていけます。

それは、自分の感性を信じるということ。そして、自分の人生を自分で選ぶという感覚にもつながっていました。

他人の視線やトレンドよりも、「自分がどう感じるか」。その視点が、少しずつ僕の中の軸になっていったのです。

「正解」よりも「感覚」。他人の評価より、自分の気持ち。

そんな価値観が、僕の中に少しずつ根づいていきました。

今では、服を選ぶことは「自分を肯定する」ための大切な時間になっています。

 

自分にしかできない組み合わせの面白さ

昔は、他人の目を気にして「正解の組み合わせ」ばかりを探していた気がします。

しかし古着を着るようになってから、服を選ぶ感覚が少しずつ変わってきました。

トップスもボトムスも、一点ものだからこそ、あえて色やテイストの違う服を組み合わせてみます。例えば、上品なネイビーのシャツに、あえて派手なプリントが入ったミリタリーパンツを合わせてみたら、予想外にまとまって見えたりしました。

そうすると、「あれ? なんか意外といいかも」という発見があるんです。

雑誌に載っているような“王道の合わせ方”じゃなくても、自分にとってしっくりくるなら、それでいい。

そんなふうに思えるようになってからは、「自分にしかできない組み合わせ」を考えるのが、どんどん楽しくなっていきました。

同じ服を着ていても、組み合わせや着方次第でまったく違う表情になります。

その面白さは、ルールに縛られず自分だけの世界を描ける、ファッションの自由さを、今でも僕に教えてくれます。

 

今、誰かの背中を押せるなら

「これって似合ってるのかな」「周りから浮かないかな」

もし今、そんなふうに迷いながら鏡の前で立ち止まっている人がいたら、こう伝えたいです。

「大丈夫だよ。まずは自分の“着たい”って気持ちを大切にしてみて」と。

僕自身、かつては服に悩み、周囲の目を気にして、自信が持てずにいた時期がありました。

しかし、古着との出会いがきっかけで、「自分の感覚を信じる」ということを少しずつ覚えていきました。

「正解」を探すより、「自分にとっての心地よさ」に目を向ける。

そうするようになってから、服を選ぶことが楽しくなり、自分の内面も前向きに変わっていった気がします。

今では、服は単に“飾る”ためだけのものではなく、“自分らしさとは何かを再確認させてくれる”大切な存在だと感じています。

かつての僕のように一歩を踏み出せずにいる誰かが、「自分らしさを模索したあの頃の時間」を通して、少しでも自分らしいスタイルに出会い、自分を好きになるきっかけを掴む。その背中をそっと押すことができたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

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かめたく

ファッションとプロレスをこよなく愛する元アパレル店員。独自理論に基づいた着こなし術や人気ファッションアイテムの体験記。また、マニアックな視点から捉えたプロレスの魅力をお伝えします。

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