「何を着ても、なんだかしっくりこない」
そんな風に感じたことはありませんか?
僕は10代の頃、服を“誰かの正解”から選んでいた気がします。
でもあるとき、古着との出会いが、少しずつその感覚を変えてくれました。
「似合う」がわからなかった自分
昔から、服を選ぶのが苦手でした。試着室の鏡の前で立ちすくんでしまい、「うーん……」と首をかしげるばかり。雑誌で見た「おしゃれっぽい」コーデを真似してみても、何だかしっくりこない。周りの目を気にして、無難な選択をしてしまう自分がいました。
中学時代、周りの友達が似たような服を着ている中で、僕はどこか息苦しさを感じていました。「みんなと同じでないと浮いてしまう」と思い、なんとなく取り残された気分になったことを覚えています。そんな時、街の服屋で目にしたジャケットがありました。
「この服、好きだけど……本当に自分に似合うのかな?」
何度もそのジャケットを遠くから眺めましたが、結局手に取ることはできませんでした。それはまるで、僕がその服を選ぶためには“もっと堂々としないといけない”ような気がしていたからです。周りの目を気にしすぎて、自分の「好き」を声にすることさえ、怖く感じていたのです。
その気持ちはやがて、何を選んでも「どうせ似合わない」と思うようになり、自分らしさを見失ってしまう原因となりました。服を買うたびに、心のどこかで疲れてしまう。そんな時期が長く続いていました。
自分の「好き」がわからなかった頃
服に限らず、僕は“模範解答”を探して生きてきた気がします。
どんな進路を選ぶべきか、どんな言葉をかければ嫌われないか。
間違えたくない。失敗したくない。
そんな気持ちばかりが先に立って、「無難な選択」ばかりをしてきました。
服も同じでした。
「これ、変じゃないかな」「雑誌に載ってたやつだし、外さないはず」
そんなふうに、"正しそうな答え"を手がかりに、なんとか安心しようとしていたんです。
でも、その安心感はどこか借り物で、心の底では満たされない何かがあったのかもしれません。だからこそ、本当は、自分の「好き」や「これ、着てみたいかも」という気持ちを、ただ信じてみたかったのかもしれません。
それがどれだけささやかな感情でも、誰かの正解よりも、「自分の心にしっくりくること」の方が、ずっと大切だったと、今なら思えるんです。
正解の外にある選択
ある日のこと。
 なんとなく入った古着屋で、思わず足が止まりました。
整っているとは言えない店内。
シャツ、ジャケット、パンツが、ジャンルも年代もバラバラに並んでいて、どれも少しクセがある。個性的で、どこか自由でした。
それは新品でもなければ、流行のど真ん中でもない。
ましてや、雑誌に載っているような“おしゃれのセオリーとは程遠いものでした。
でも、なぜか目が離せなかったんです。
一枚一枚の服が、「ちゃんと選ばなきゃ」とか「似合わなかったらどうしよう」とか、そういうプレッシャーを全然かけてこない。
ただ、「これ、ちょっといいかも」と思える自分の直感を、ふと信じてみたくなるような空気がありました。
もしかしたら、“なんとなく”を信じられたのは、この時が初めてだったかもしれません。
他人の視線じゃなく、自分の気持ちにフィットするかどうか
それから、少しずつ服との向き合い方が変わっていきました。
雑誌が教えてくれる“誰かの基準”ではなく、「自分がどう感じるか」が選ぶ基準になっていったんです。
誰かの視線よりも、その服を着ている自分が心地よくいられるかどうか。
鏡の前で「これ、いいかも」と思えたら、それだけで十分だと思えるようになっていました。
不思議なもので、そうやって選んだ服のほうが、まわりから「似合うね」「おしゃれだね」と言ってもらえることが増えていきました。
きっとそれは、“正解”に合わせるんじゃなく、自分という輪郭にちゃんとフィットするものを、自然と選べるようになっていたからかもしれません。
選ばない自由と、好きな自分
今では、服を選ぶことには自信があります。
数十年、試行錯誤を繰り返してきたからこそ、“自分にとっての心地よさ”が何か、はっきりわかるようになっています。
今日の僕は、古着のTシャツにジーンズ。
決して華やかではないけれど、今日の自分にはこれがちょうどいいのです。
服を選ぶというのは、本来もっと自由で、曖昧で、直感的なもの。
「似合うかどうか」よりも、「これが好き」と思えるかどうか。
誰かの評価を気にせず、自分のスタイルを心から楽しんでいる人を見ると、なんだか勇気をもらえます。例えば、テレビでよくお見かけしていた林家ペー・パー子さんです。全身ピンクのあの姿は、すごくハッピーそうじゃないですか。
誰かの“ものさし”なんて気にせず、自分の「好き」をまっすぐに楽しんでいる。
その姿を見るたび、僕はなんだか元気をもらえる気がします。
そうやって選んだ一枚には、今日の自分をちゃんと肯定できる、小さくても確かな信頼が宿っていると思うんです。
さて、あなたが今日着ているその服は、“好き”と胸を張って言えるものですか?
 
