みなさん、今年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアはどうでしたか?
最近の中ではダントツで面白かったですよね!
僕は、決勝戦を会場で観戦していましたが、
年々、新日本ジュニアが盛り上がっていることを実感しています。
最近まで低迷していた新日ジュニアが、
なぜ、今になって盛り上がっているのかを考えたとき、
その1つの理由として、ウィル・オスプレイやKUSHIDA等、
若い世代の選手の台頭が挙げられるかと思います。
彼らは、「ジュニア黄金期」といわれた90年代のプロレスを観て育った世代です。
そのジュニア黄金期に活躍していたレスラーの中の1人に、
エル・サムライ
というレスラーがいたことを覚えているでしょうか?
彼が、現在どこで何をしているのか気になりませんか?
特に、新日本プロレスを退団してからのサムライを知らない方は少なくないでしょう。
そこで今回は、新日本プロレス退団後のエル・サムライの行方について、
彼の人となりにも触れながら書いていきます。
エル・サムライの輝かしい経歴
エル・サムライは、85年に新日本プロレスに入団をしています。
デビュー後は、
同期の飯塚高史(当時は飯塚孝之)、AKIRAと共に
「新世代闘魂トリオ」という形で売り出されほど、
会社から期待される存在でした。
92年に、第19代IWGPジュニアヘビー級王者に就き、
97年には、ベスト・オブ・スーパー・ジュニアでも優勝を果たし、
獣神サンダーライガーと並ぶジュニアの雄として不動のポジションを築きます。
サムライは、地味でお人好しな性格
これらの輝かしい栄光がある一方、
サムライは非常に無口で控えめ、そしてお人好しでした。
おまけに、タバコとパチンコさえあれば、あとはいらないという、
何ともいいがたい地味さ加減です。
そんな地味な性格のサムライをおちょくろうと、
後輩レスラー等は、度々サムライのマスクを剥がしていました。
マスクを剥がされるシーンは、
アメトークのプロレス特集で放送までされています。
番組動画ではないですが、以下の動画の、2:46から観てもらうと、
後輩の金本浩二にマスクを剥がされ、
素顔が露わになったエル・サムライが観ることが出来ます。
今思うと、後輩にマスクを剥がされるなんて、
なかなかのけなされっぷりですよね。
しかし、サムライは、ただイジられるだけのお人好しではなく
確かな技術を持ち合わせた、職人気質なレスラーでした。
それに影響を受けた後輩レスラー達は、多くいます。
そのレスラーとは田口隆祐です。
現在の田口は、田口ジャパンの監督として、
普段はオモシロおかしく戦いますが、
シングルマッチでは、確かな実力を発揮しますよね。
この実力は、かつてサムライと田口で組んでいたユニット
「サムライジム」時代に培ったものでもあります。
もう一人、サムライに影響を受けたレスラーがいました。
それは内藤哲也です。
内藤は雑誌のインタビューで、
「フィニッシュ技のデスティーノの原型は、サムライが必殺技として使っていた裏DDTから
インスピレーションを得たかもしれない」
と語っていました。
イジられキャラ路線に
このように、後輩レスラーに影響を与えたサムライは、
2008年に新日本プロレスを退団し、フリーで活動することになります。
メジャー、インディー問わず各団体に精力的に上がり、
変わらぬ存在感を見せ続けていました。
しかし、元から控えめで、自己主張をするタイプではないこともあり
東京から、奥さんの実家である愛知県岡崎市に住居を移し、
名古屋のプロレス団体を中心に、
まったりな活動にシフトチェンジをすることになります。
東京を離れてからというもの、
プロレス業界には以下のような「サムライ都市伝説」が流れるようになりました。
「オファーをかけて連絡が取れないときは、たいていパチンコをやっている」
「岡崎駅前で素顔のサムライが、野良猫にエサをやっているところを目撃した」
など、プロレスラーのイメージとは、かけ離れた癒し系な都市伝説です。
試合では、喋りが苦手なところを突かれ、
必ずといっていいほど締めのマイクを振られ、
かなり聞きづらいしゃがれ声で、あたふたする姿が定着するようになりました。
新日で、ジュニアのベルトを欲しいがままにした、輝かしい栄光があったとは思えぬほどの
イジられキャラになったのです。
そんな、サムライに目をつけたのが、
アイデア豊富なDDTの大社長・高木三四郎でした。
サムライをDDTの試合に出場させようと
勝手に「サムライ戦隊サムライレンジャー」
というユニットを作ります。
サムライは、このユニットに一方的に巻き込まれる形で参加をし、
イジられる派目になるのです。
時には、買い物袋で作られた
サムライマスクを被らされるなんてこともありました。
もう完全に、DDT特有の悪ノリに巻き込まれまくっていたのです。
これが功を奏し、
「ここまで見事に巻き込まれる職人は、エル・サムライをおいて他にはいない」
と好評価され、
サムライの意向とは全く関係なく
プロレス界にプチサムライブームが吹いたのです。
その後、スポルティーバ所属選手へ
プチサムライブームが吹くさなか、
名古屋でプロレス団体兼、リング常設スポーツバーを運営している
「スポルティーバ」の会長から声がかかり、
サムライは、この団体の所属選手となりました。
会長は、サムライを所属選手にした理由に、
「日々の生活の中で、辛いことがあっても地元名古屋の人たちに、
サムライを見てもらうことで、心が癒され、人生に希望を与えたい」
という思いがあったそうです。
さらには、サムライが名古屋を平和へと導くのではないかという
大きな可能性すら抱いていたそうです。
確かに、会長がサムライに対してこのような可能性を期待するのも分からないでもありません。
後輩にけなされてもヘコたれずに戦います(笑)
マスクの変わりにゴミ袋を被らされても怒りません(笑)
こんなレスラーは、エル・サムライをおいて他にはいないでしょう。
大きな可能性を期待されているエル・サムライですが、
現在、スポルティーバの公式ホームページを見る限り、一切試合には出ていません。
一体、彼は何をしているのでしょうか?
残念ながら、情報を探しても何も出てきません(^_^;)
しかし、スポルティーバのホームページには所属選手として紹介されているので
在籍していることは確かです。
きっと、サムライのことだから趣味のパチンコでもしながら、
まったり過ごしているのではないかと容易に想像出来ます。
それか、後輩レスラー達にレスリング技術の指導をしている可能性もありますね。
どっちにしろサムライは、
サムライらしくまったり生きていることでしょう。
サムライを懐かしむファン達
そんなサムライは、ファンの記憶の中に今もなお色濃く残っているのです。
https://twitter.com/7010113/status/870961172383580161 https://twitter.com/cutcream/status/860237197282168833 https://twitter.com/kyouhei66/status/870860132342611968
みなさん、サムライに対して色々な思い出があるみたいですね。
最後に
かつては職人と呼ばれ、高い技術を誇ったエル・サムライは、
新日本プロレスを退団後、まさかのイジられキャラへと変貌を遂げ
名古屋を平和に導いてくれるかもしれないという大きな期待を背負って
スポルティーバの所属選手とになっていました。
現在、サムライが試合に出ていないことに少し寂しい気持ちはありますが、
また試合に出てくれることを期待しつつ、
これからも動向に注目していきたいと思います。
追記
現在エル・サムライは病気療養中という情報もキャッチしました。
この情報を聞いて、妙に納得してしまいました。
というのも、サムライは大のタバコ好きですからね。
この情報が本当かどうかは不明ですが、また元気な姿をリングの上で見せて欲しいですね!
【次回予告】
次回は「ケンドー・カシンの今」についてお送りします。
https://kadrhosh.com/kendo_kashin/