スキンヘッドでヒゲを伸ばして筋肉隆々。
”怨念坊主”と呼ばれ、人間でいることすら忘れてしまったのような目つきをした飯塚高史というプロレスラー。
首輪で繋がれ暴れながら入場する等、現在の新日本プロレスで、いや、プロレス界において他に類を見ないレスラー像を築き上げました。
彼はなぜあのようになってしまったのでしょうか。
これについては、昔起きたあの2つの事件を置いて語ることは出来ません。
今回は、その2つの事件と歴史を辿りながら飯塚高史というレスラー像の迫ります。
会社から期待されたエリート街道
飯塚高史は1966年生まれの現在51歳(2017年11月現在)。
1985年5月に新日本プロレスへ入団。同期には松田納(現・エルサムライ)がいます。
1986年11月、本名の飯塚孝之で野上彰(現・AKIRA)を相手にデビュー。
89年には長州力のパートナーに大抜擢され第10代IWGPタッグ王座に輝いたり、
会社から将来を期待されて海外への武者修行を行ったり等、エリート街道を歩む幸先いいスタートを切っていました。
海外遠征後は、野上彰(現・AKIRA)とのタッグ「J・J・JACKS」や、
山崎一夫・木戸修・永田裕志とのユニット「山崎隊」での活動等、飯塚は会社からもお膳立てをされていました。
しかし飯塚は、それらのチャンスを活かすことが出来ず、中堅選手の位置に留まる苦しい時期が続いてしまったのです。
そんな辛い中でも、飯塚は腐ることなく寡黙にプロレスを全うしました。
その甲斐もあり、レスリング技術が非常に高いことから道場でコーチを務める等、「隠れた実力派」と称されるようになったのです。
その隠れた実力が発揮されたのが1つ目の事件です
事件① 村上一成”昏睡”事件
「村上一成”昏睡”事件」です。
この事件は「1999年1月4日 橋本真也 VS 小川直也」で起きました。
当時、飯塚は橋本側のセコンドに付いていました。
橋本と小川はセコンドを巻き込んでの激しい激突を繰り広げたのです。
そして、両者が場外乱闘を繰り広げている中、飯塚が小川のセコンドに付いていた村上一成を、スリーパーで絞め落としてしまったのです。
村上はその場でいびきをかいて眠りだす等の昏睡状態となり、なんと1ヶ月もの入院するほどの重症を負ってしまったのです。
この衝撃事件のより、実力がありながらもトップ戦線に絡むことが出来ずにくすぶっていた飯塚は大ブレイク。
村上と飯塚の間には因縁が生まれ、両者は幾度となく激しい戦いを繰り広げます。
【動画:2000年1月4日 橋本&飯塚 VS 小川&村上】
https://www.youtube.com/watch?time_continue=591&v=wluH6X1NjY8
それらの戦いの中でも飯塚は村上をスリーパーで絞め落とすのです。
一度、首を締めたら何があっても放さない姿勢から、今まで正統派であった飯塚が、何かに覚醒したかのような”怖い部分”を見せるようなったのです。
いつしか、そのスリーパーは”魔性のスリーパー”と呼ばれ、対戦相手から恐れられる技となりました。
2000年はIWGPヘビーに挑戦、G1タッグリーグでは永田と組み優勝を果たし、当時、抗争関係にあった全日本プロレスとの対抗戦に抜擢される等実りの多い年になりました。
【動画:2000年12月14日「永田&飯塚VS川田利明&淵正信」新日VS全日 対抗戦】
https://www.youtube.com/watch?v=orwH0fZH1WQ
しかし、その勢いは長くは続きませんでした。
2001年に首を負傷し長期欠場をして以降は、再び「隠れた実力派」として目立たない存在になってしまったのです。
陰を潜めた時期が長く続いた中、ある事件をきっかけに再び飯塚は脚光を浴びることになります。
それが2008年の「”友情タッグ”裏切り事件」です。
事件② ”友情タッグ”裏切り事件
2008年は、ヒールユニットであったG.B.Hのリーダー天山広吉と、メンバーの間で対立が起きていた年でした。
同年、G.B.Hのメンバーの不満が爆発し、試合後に天山を袋叩きにしたのです。
そこに現れたのが飯塚。
痛みつけられている天山を救出し、共闘を持ちかけたもののはじめは冷たくあしらわれました。
しかし、ユニットを追放され孤軍奮闘する天山に対し、G.B.Hのメンバーを幾度となくイス攻撃で袋叩きにします。
その度に飯塚は身を挺して天山を守って救助したのです。
いつしか天山と飯塚の間には信頼関係が芽生え”友情タッグ”を結成したのです。
”友情タッグ”は当時IWGPタッグ王座を保持していた、G.B.Hの真壁刀義&矢野通のベルトに挑戦しました。
その時、事件が…。
試合終盤、飯塚は天山を突然”魔性のスリーパー”で絞め落とし、王者組をアシストしG.B.Hに電撃加入するという裏切りに出たのです。
【画像:天山を絞め落とし足蹴にする飯塚とG.B.Hメンバー(真壁&矢野&本間&石井)】
この裏切り劇は、正統派を貫いていた飯塚らしからぬ行為として、ファンに大きなインパクトを残した事件でした。
飯塚は次期シリーズより、頭を丸坊主にし現在の容姿に大変貌を遂げました。
後日談ですが、次期シリーズからグッズ販売される予定で制作済みの”友情Tシャツ”発売は、この飯塚の裏切りにより頓挫しました。
”怨念坊主”と言われる由縁は、おそらくここからきている
ヒール転向後は、現在の飯塚の代名詞にもなっている武器「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」を手に装着し、反則をすることが当たり前のようになります。
試合では2008年、天山にしつこく付きまとい、ランバージャック・デスマッチやチェーン・デスマッチ等、壮絶な抗争を繰り広げます。
【動画:ランバージャック・デスマッチ 飯塚 VS 天山】
【画像:チェーン・デスマッチ 飯塚 VS 天山】
2009年は、中邑真輔と矢野を中心に結成した武闘派ヒールユニットCHAOSに加入。
同年、永田とドッグカラー・チェーン・デスマッチを行ったり、G1では反則を繰り返したりと、徐々にヒールレスラー像を確立するようになります。
【画像:ドッグ・カラー・チェーン・デスマッチ 飯塚 VS 天山】
同年、9月シリーズでは真壁刀義に3度もピンフォールで仕留めらたことの腹いせに、
試合終了後に車に乗って会場を後にしようと真壁をバッドで襲撃するという暴挙に出たのです。
このことにより因縁が生まれ、真壁と数々のチェーンデスマッチを行い血で血を洗うような壮絶な戦いを幾度なく繰り広げます。
2010年からは、標的を実況担当の野上慎平アナウンターに。
実況している最中の野上アナを毎回のように襲撃し、スプレーでドラえもんを描く等の暴挙を繰り返しました。
この頃、同じCHAOSとして飯塚のタッグパートナーを務めていた矢野通は当時をこのように振り返っています。
「坊主おじさん(飯塚)は、普段は大人しくて何を考えているか分からなかった。ミステリアスな雰囲気をまとっていた。」
この2008〜2010年の一連の流れは、一度ターゲットを決めたら勝敗に関係なく何回でも付きまとうというものでした。
これは、かつて飯塚が”魔性のスリーパー”を極めたら何があっても放さない姿勢にも似た光景だったのです。
この姿勢には、まさに怨念地味たものさえ感じました。
現在、飯塚が”怨念坊主”と言われる由縁は、おそらくここからきているのかもしれません。
ももクロのMVに出演
2014年からはCHAOSを裏切り、鈴木みのる率いる鈴木軍に加入。
首輪に繋がれ客席から暴れまわって入場するのは、この辺りからお馴染みの姿となりました。
そして、飯塚は芸能面でも活躍の幅が広がり
ももいろクローバーZのミュージックビデオにも出演を果たまでになったのです。
【動画:4分20秒から飯塚が登場】
飯塚高史というレスラー像
一見、暴れているように見えるものの、タッグマッチでは周りの状況を見てバイプレイヤーとしての役目をしっかり果たすのが飯塚です。
その姿からは、かつて橋本真也のパートナーとして、小川直也と村上一成を迎え撃った姿を重ねて見てしまいます。
さらに、噛み付いたらなかなか放さないしつこさからは、”魔性のスリーパー”をなかなか放さなかった飯塚がダブって見えるのです。
なぜそう見えるのでしょうか。
きっとそれは、外見は変わったとはいえ、決して飯塚高史の本質は変わっていないからなのではないかと思うのです。
ベビーフェイスからヒールに、クールな雰囲気から”怨念坊主”へ、
ただ表現が変わっただけなのかもしれません。
飯塚高史については、いくらでも妄想出来ます。
なぜなら、飯塚は語らないレスラーだからです。
ここで思い出されるのが、内藤哲也が石井智宏に放ったこの言葉。
「思っているだけじゃ、なにも伝わらない。声に出さないと、思いは伝わらない」
これは飯塚高史にも当てはまるのではないでしょうか。
内藤はこんなことも言っていました。
「力のある選手だというのは間違いのない事実だ。なのにトップレスラーではない。オマエには言葉が必要なんだよ。このまま二流の上ぐらいのレスラーで終わりたいのであれば、そのまま頑固にやってろ。」
確かに飯塚も二流、もしくは二流の上くらいまではいったかもしれません。
シングルベルトを一度も巻いていないことから、内藤がいう「一流」とはいえないでしょう。
しかし、これといった目立った発言をすることなくレスラー人生32年を送ってきたのが飯塚高史です。
多くのファンはメインストリームで活躍するオカダや内藤に賞賛を送るでしょう。
もしくは、新日本プロレスの屋台骨として数々の栄光を手に入れ、確かな歴史を刻んできた中西学や永田裕二に温かい拍手を送るかもしれません。
それでも、飯塚はももクロのMVに出るまでになりました。
飯塚が客席から入場することを期待している会場のファンはたくさんいます。
これが、飯塚高史なのです。
確かに、飯塚がレスラー人生で目立った時というのは数えるほど。
飯塚を注目して見ているファンは多くないでしょう。
それでも、飯塚は心の中ではこう言ってるのかもしれません。
「これが俺なんだ!!」
声にならない飯塚の思い。
それが叫びとなって、現在の飯塚が唯一声にする「ヴァァァァァーーーー!!」なのかもしれません。
これはあくまでも想像です。
飯塚に関しては想像で書き綴ることしか出来ません。
これからもきっと、飯塚は自分の思いを語ることはないでしょう。
だからこそ、プロレスファンの妄想心をくすぐらせるのです。
自分は語らずにプロレスファンに想像を語らせる男、それが飯塚高史というレスラー像なのかもしれません。
だとしたら、矢野通が言う「飯塚は普段からミステリアスな雰囲気をまとっている」という言葉は大きく頷けるのです。
【次回予告】
次回は矢野通のレスラー人生から見えてくる「流れに見を任せて生きる」術について語っていきます。
https://kadrhosh.com/yano_toru-2/