人生はそう簡単に上手くはいかない-こんな風に悩んでいる方も少なくないのではないでしょうか。
確かに「思い通りの人生になったらどれだけ幸せか」と思うことありますよね。
しかし、他方でこんな言葉もあります。
「自然の流れに任せた方が人生うまくいく」
実は、この言葉を体現し花開いたプロレスラーがいます。
そう、唯一無二の存在感を放つ選手、矢野通です。
今回は彼のレスラー人生から見えてくる“流れに身を任せて生きる”術を学んでいきましょう。
父の画策にハマりレスリングに励む学生時代
矢野通と言えばひょうきんなファイトスタイル。
一見プロレスラーとしての実力がないように見せて、実際は学生時代にレスリングで華々しい成績を残している実力者なのです。
中学・高校では、全国高校選抜レスリング選手権や全国高校総大をはじめ、数々の大会で優勝。
大学では、世界学生選手権日本予選97kg級で優勝。
全日本学生選手権では、なんとフリーとグレコローマンの両部門を制覇してするほどの功績を残しているのです。
つまり、アマレスエリートなのです。
そんなエリートが、レスリングを始めたきっかけは父によるものでした。
元レスリング部の父は自身が果たせなかった「オリンピック出場の夢」を息子に託そうと企み、
矢野はまんまとそれにハマり、自分の意思に関係なくレスリングを始めたのです。
矢野の“流れに身を任せて生きる”のは少年の頃から既に始まっていたのです。
父の独自の編み出したトレーニング方法と恵まれた体格を活かし、身を任せた矢野はあれよあれよと成績を残したのでした。
「時の流れに身をまかせて」いたらプロレスラーになった
矢野が新日本プロレスに入ったのも、”言われるがまま”従っていたら入団していた、という表現が一番近いでしょう。
大学卒業が迫った頃、矢野は当時のレスリング協会会長にこのように言われました。
「君の就職先、闘魂クラブ(当時、新日本プロレスの傘下にあったアマレスクラブ)に決めてきたから」
なぜ闘魂クラブに決まったのかピンと来なかった矢野は、聞き直しました。
すると、高校3年生の時に発言したある言葉が発端になっていたのです。
高校卒業が迫っていた矢野は、監督に進学先の希望を聞かれていました。
超強豪の大学に進学してプレッシャーを感じながらレスリングをするより、
二番手三番手の大学に行ってトップを食うというポジションの方が
「追われる立場より気楽に追いたい派」の自分には向いていると思った矢野は、
正直に言うと怒られると思ったため、こんな風に説明をしました
「自分は体もデカいしプロレスラーになるかもしれないから日大に行こうと思います。」
プロレスラーになろうなんて全く思っていなかったのに、
その場しのぎの言葉を鵜呑みにしてしまった高校の監督は、大学にそのまま伝えてしまいました。
そして4年後、レスリング協会会長が直々に新日本プロレスと話をつけてくれ、矢野は晴れて闘魂クラブに所属してしまったのです。
そして、その後はテレサ・テンばりに「時の流れに身をまかせ」ていたらプロレスラーになっていました。
新日本プロレスのレスラーになることを夢見て努力した内藤哲也とはだいぶ違い、
”気付いたらなっちゃった”のが矢野なのです。
軸がブレブレの若手時代
さて、ここからは2002年に新日本プロレスでデビューしてからの話に触れていきましょう。
ちなみに矢野通には同期はいませんが、同期入門に元リングスの成瀬昌由と、
先日のイッテンヨンのニューイヤーランボーでガンを克服し久しぶりに出場を果たしたことが記憶に新しい元UWFの垣原賢人がいます。
デビュー後も、「時の流れに身をまかせ」ぶりをみせますが
学生時代とは打って変わって、迷走時期に突入します。
2003年には、格闘技ブームに流されパンクラス両国大会に出場し敗戦。
翌2004年には「そろそろ変わらなければいけない」と考えた矢野は、
「自分は酒が好きだから酒飲みキャラになろう」という思つきで突如キャラ変更をします。
黒髪に黒のショートパンツというヤングライオンスタイルから、
上記画像のような金髪に田吾作(膝下までの長さのタイツ)、法被(はっぴ)を羽織るというスタイルで、
一升瓶を携え相手に酒を無理矢理飲ませるというヒールレスラーに突如変貌を遂げます。
そんな反則三昧の日々を約4ヶ月送りましたが、ある日、現場監督だった長州力に呼び出されこう言われました。
「なんでそんな格好してるんだ。」
あ、ダメなんだ。と、あっさり長州の忠告を受け入れた矢野は、
すぐ黒髪のヤングライオンスタイルに戻し暴れ回るのを自粛しました。
しかし、その4ヶ月後、黒髪の矢野を見かけた長州は、こう言いました
「あれ、なんでそんな格好しているんだ。」
あ、いいんだ。またもや長州の言葉を素直に聞き入れた矢野は再び頭を金髪に染め上げ、ヒールに戻りました。
軸がブレブレの矢野は、長州に転がされながら若手時代を過ごしたのでした。
「時の流れに身をまかせ」続けたら追い風が吹く
迷走しながらも「時の流れに身をまかせ」続けていた矢野に、2007年からいよいよ追い風が吹きます。
天山、真壁らとヒールユニット「GBH」を結成したのち、
インディー団体行脚を行い、アパッチプロレス軍が持つWEW級王座の奪取に成功し、自身初のベルト栄冠。
2008年1月4日には、真壁とのタッグでIWGPタッグ王者となり矢野は徐々に頭角を現し始めます。
【動画:2007年G1タッグリーグ 真壁&矢野 VS ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ】
同年4月にはGBHを離脱。中邑真輔と共闘宣言をし、武闘派集団”CHAOS”を結成し、
棚橋弘至と抗争を繰り広げるなど、トップ選手たちと負けず劣らずの戦いを繰り広げていきます。
コミカルを手に入れた”矢野スタイル”
そして2011年、矢野に大きな転機が訪れます。
「身をまかせて」きた矢野は”コミカル”という武器を手に入れたのです。
この出来事にはキーパーソンがいます。
それは、”ロブ・ヴァン・ダム”と”鈴木みのる”です。
ロブ・ヴァン・ダムと”YTRポーズ”
2011年のイッテンヨンで矢野はTNAのロブ・ヴァン・ダムと対戦しました。
この戦いで、ヴァン・ダムの両手の親指で自身を指差す”RVDポーズ”を盗用した”YTRポーズ”を思いつきで披露します。
これが予想以上に周りから好評を得たことに味をしめ、
以後、デニーロ顔をしながら”YTRポーズ”をするなどのオモシロおかしいオリジナルを取り入れていきます。
この出来事を皮切りに、日を追うごとにヒールでありながらコミカルな面が顕著に見られるようになり、
相まった二面性を持った独特のキャラとして会場人気を上げていきます。
特に印象深いのが2011年G1のヒデオ・サイトー戦でしょう。
ヒデオの木槌攻撃に対して、ゴングを盾代わりにした攻防を繰り広げるというコメディープロレスをやってのけ、
会場から割れんばかりの爆笑を巻き起こしたのです。
鈴木みのるで開眼した”矢野スタイル”
そして今の矢野を語るうえで欠かせない”矢野スタイル”を開眼させてしまったのは
奇しくもコミカルと真逆を行く鈴木みのるです。
2012年のG1でコミカル化した矢野は初めて鈴木みのると相まみえました。
リングに上がった矢野はまずペットボトルの水を鈴木の顔のぶちまけ、
すると、鈴木は一変、鬼の形相となったのでした。
「めっちゃ怒ってるじゃん!」と目を丸くすると鈴木はさらに激怒。
怒り顔を見た矢野は、
「いやいや、いくら何でも怒りすぎでしょ!」と思わず笑ってしまいました。
狙ってないものの
「矢野が小バカにする」→「鈴木が激怒」→「さらに矢野が小バカにする」
といった火に油を注ぐような構図が完成してしまったのです。
偶然とはいえ、鈴木みのるの怒りを小バカにおちょくってしまった行為は、
その後「全力で裏をかく、おちょくる、小バカにする」という”矢野スタイル”を開眼させる大きなきっかけになったのです。
同時に、鈴木の”人類史上最強の怒り顔”につられ、矢野の”人類史上最高のおちょくり顔”が出るようになった大きな出来事でもあります。
この2人の関係はノアマットでも繰り広げられました。
2015年2月、NOAHマットで猛威を振るう鈴木軍を蹴散らすための救世主”X”として、
矢野は東京マラソンを完走後、そのままの格好と”最高のおちょくり顔”で登場。
鈴木みのるの犬猿の仲である矢野によって、沈没しかけた”ノアの方舟”を救ったのでした。
”流れに身をまかせて生きる”という表現がぴったり
このように振り返ってみると、矢野の人生というのは、
起きた出来事に対して逆らわなかったり、思いついたことはとりあえず実行したりの繰り返しのように見えます。
矢野自身も自伝本「絶対、読んでもためにならない本」にて、このように語っています。
「『与えられた場所のポンと入って、その中で頑張りゃいい』というのが私の志向であり、アマレスをやってしまったのだって、オヤジの言うがままだった。そう考えると、私にはこれまで”自ら選択する人生”などなかったとも言える。」
まさに”流れに身を任せて生きている”という表現がぴったりとハマるのではないでしょうか。
人望がある
そんな生き方をしている矢野通の人望はとても熱かったりします。
あの”方舟の天才”と呼ばれた丸藤直道からも厚い信頼を寄せているようです。
2016年のG1では「矢野さんの言うことは絶対!」という心得の下、
公式戦が1ヶ月に渡って続く中、毎日のように呑みに連れ回されていた、なんてエピソードがあるほどです。
天才すらも手中に収めてしまう、これが矢野の人望なのかもしれません。
レスラー界隈からも高い評価
さらに、矢野はレスラーとしての評価も高いのです。
かつて最強外国人選手として名を連ねたAJ スタイルズは「The Tag Rope」のインタビューで、
新日本プロレスのお気に入りレスラーに矢野の名前を挙げています。
「新日本プロレスのすごいところは”選手たち”だ。彼等は誰とでも素晴らしい試合をする。例えば矢野通とAJスタイルズの試合を見てくれ。絶対噛み合わないと思うだろうが、一度リングで合わさるとそれはまさにマジックだ。矢野は自分が試合した中でお気に入りの選手の一人だ。我々二人は対極な選手同士だが、矢野は多様性があって誰とでも凄い試合をしてのける。」
さらに永田裕志も矢野のことをこのように称している。
「スタミナもある、力も強い。でもそれを敢えてやらない非常にクレバーさもある。」
コミカルだけでなく実力もある、まさにマルチレスラーとも言えるでしょう。
プロレス以外の活動
そのマルチな才能はプロレス外でも発揮されています。
プロデュース業
2012年9月には自身でプロデュースして発売した「矢野通デビュー10周年記念DVD」が、
出たがりの先輩、邪道&外道を安いギャラで釣って、
買う人が見たそうなプライベートシーンを軸に展開したことで、予想外に売れました。
これに気をよくした、新日本プロレス側もノリノリになりDVDを毎年発売するようになり、
プロレス関連のDVDの年間売上1位を記録したこともあります。
また、CHAOSメンバーの入場曲を中心に収録した「"CHAOS" CD」もプロディース。
さらには、アインシュタインやバッハをモチーフにしたTシャツや
自身の得意ムーブ「ブレイク!ブレイク!」をデザインしたブレイクTシャツ等、
遊び心満載のTシャツもプロデュースして人気を博しています。
そして、自身のブレイクTシャツとともにドラマ「99.9」に出演するしたたかさもあります。
榮倉奈々も”YTRポーズ”を劇中に披露しています。
ちなみに矢野プロデュースのグッズ・DVD等はamazonで買うことが出来ます。
BAR経営
2012年11月には自ら経営するBAR「EBRIETAS(エーブリエタース)」を後楽園ホールがある水道橋に出店しました。
僕もこのBARには行ったことありますが、
自らお客さん全員に話しかけてくれる気さくさと、
矢野関連グッズを持っていけばサインをしてくれるなどのサービス精神の旺盛さに
「なんていい人なんだ」と思わず感動してしまうほどです。
→「EBRIETAS(エーブリエタース)」に行った感想についてはこちらの記事で詳しく書いています。
それと同時に、細やかな気遣いが出来る性格なんだろうなと感じます。
きっとその性格が精密に働く”矢野コンピューター”として試合中に生かされているのでしょう。
マルチに活動をしている矢野通はこんな名言を残しています。
「誰かに対する憧れとかがゼロだから発想が自由なんだよ」
この言葉によって表面化されたのが、マルチに活躍出来る現在の矢野通なのかもしれません。
そんな矢野の私生活
そんな矢野の私生活にも迫ってみましょう。
実は結婚している
ヒールであるイメージを崩さないために公には発表していませんが、
実は結婚しています。
自分でBARを開いた理由にも結婚したことが関係しています。
結婚したらなかなか呑みに行けないという懸念をした矢野は
「じゃあ、呑むことを仕事にすればいいんだ!」と閃いたのが
BARを経営している理由の1つでもあります。
たいていお酒を呑んでいる
矢野の技名は酒の銘柄からきているものが多いです。
日本酒の銘柄である「鬼ころし」から由来している”鬼殺し”をはじめ、
”大吟醸”や”八海山”など、様々な技名に酒の銘柄が使われています。
ではなぜ、酒の銘柄を名付けるのでしょうか。
これは技名を考える時、身の回りにあるものを技名にしちゃおう!という発想があります。
矢野曰く、その時、たいていお酒を呑んでいるのだとか。
だから酒の銘柄を技名にしているそうです。
真面目に練習もしている
プロデュース業とBARの経営をしていたら忙しくて練習はしていないんじゃないかと思うかもしれません。
ですが、全然そんなことないようです。
真面目に練習している様子が、同期入門の成瀬が経営しているジムのブログに載っています。
http://mnaru.livedoor.biz/archives/52484657.html
このギャップは、普段お客さんに不真面目さをみせている矢野にとってある意味
営業妨害になるかもしれませんね(笑)
最後に
矢野通の人生をみて学ぶことは、「流れに身を任せて」みて、
起きた事象に対して無理矢理抵抗せずこなしてみると言えるのではないでしょうか。
確かに目標と期限を掲げシャカリキになって頑張るという生き方もいいかもしれません。
しかし、そんな生き方にシックリいかない方もいるでしょう。
そのような方は、矢野通の“流れに身を任せて生きる”術を参考にしてみてもいいのではないでしょうか。
もしかしたら矢野通の人生のように、いつか花咲くかもしれませんよ(^^)
【次回予告】
次回は石井智宏のルーツに迫っていきます。